愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

志段味古墳群2019(1) 名古屋市守山区

2019年09月21日 11時15分16秒 | 名古屋市守山区
9月19日、年金者組合のイベントに参加しました。「あいち年金者大学」というのがあって、その企画です。1か月の間に、囲碁、歴史、映画鑑賞、古典文学などの企画があります。その一環としての企画です。今回の歴史講座は、守山区の志段味古墳群を見学しようというものです。
志段味古墳群には、2013年に訪れています。 

志段味古墳群

東谷山古墳群も訪れています。

東谷山古墳群

特に志段味古墳群は2013年当時開発工事をしていたので、どんなふうに変わったのか見てみたいと思いました。

2013年志段味古墳群での開発工事の様子

見学のコースは、以下のようです。
勝手塚古墳―志段味古墳群ミュージアム(新しくできた資料館)―古墳群(方墳、西大久手古墳、東大久手古墳)―大塚古墳―昼食―白鳥塚古墳

勝手塚古墳を見学する参加者の皆さん

勝手塚古墳は2013年当時と変わっていませんでした。


しだみ古墳群ミュージアム

次に訪れたのは、新しい資料館です。いろいろ勉強になりました。まず古墳を飾っていた石は、石英だそうです。これは輝くなあと思いました。ピカピカに輝く古墳を見れば人々は畏敬の気持ちを持ったことだと思いました。石英は志段味古墳群の近くで採れたそうです。

石英の説明

さらに大塚古墳から出土した馬具などから当時の支配者の様子を復元したものがありました。なかなか迫力があって目を奪われました。

支配者の復元

また尾張地方の大きな古墳の成立順序も知ることができました。
白鳥塚➡大塚➡断夫山

白鳥塚古墳は意外と早く4世紀後半ごろで、前方後円墳なので、大和政権との関係が深かったと考えられています。この古墳は愛知県で3番目に大きい古墳で、かなり大きな力を持った勢力の王の古墳と考えられています。

その後ここに多くの古墳が造られますが、全て東谷山の方に向かって造られています。それだけ後世に大きな影響を与えた王だったようです。

大塚古墳と断夫山古墳は同じ時期に造られています。6世紀前半頃です。案内の岡田さんの考えでは、大塚古墳の王と断夫山古墳の王が提携し、いわゆる「尾張氏」が誕生したのではないかということでした。

志段味古墳群と断夫山古墳が少し結びつき、一層古墳への関心が高まりました。

志段味古墳群2019 つづく