愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

山中城(愛知県岡崎市)見学会の案内

2021年04月24日 05時31分09秒 | 愛教労 城の会
三河にも山中城があります。岡崎市羽栗町にあります。
愛知県で最大級の山城です。
新葉が萌える連休前のひととき、ぜひ一緒に山城を満喫しましょう。

日時 4月24日(土)午後1時現地駐車場集合
場所 山中城駐車場(岡崎市羽栗町田中24)
資料代 100円


山中城とは
 山中城は国人領主の西郷氏(あるいは岡崎松平氏)によって築かれたそうです。その後、岡崎松平氏が岡崎城、明大寺城などとともに、この地域を支配しましたが、大永4年(1524)、安城松平の流れをくむ松平清康によって攻め落とされました。(実際に戦いの指揮をとったのは大久保忠茂らだそうです)天文17年(1548)松平清康が臣下の阿部正豊に殺害された守山崩れの後は、今川氏の拠点となりました。「医王山」と呼ばれました。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康によってふたたび松平家の城となりました。永禄7年(1564)家康の家臣酒井忠次が山中を領し、天正18年(1590)の関東移封によって廃城となりました。
この城は、北に鎌倉街道(旧東海道)、東に吉良道が走る交通の要衝にあります。西郷氏の頃の縄張りは、主郭、二の曲輪帯曲輪付近と想定され、今川氏がこれを大改修し、徳川氏が改修したことで、現在の大規模な山城となりました。その城域は東西400m、南北200mに及び、県下でも最大級の規模です。

菩提山城(6)西の曲輪 岐阜県不破郡

2021年04月24日 05時27分25秒 | 岐阜県
さらに西の曲輪に降りて先へ進んで行くと、高まりが見られました。

西の曲輪東端の高まり

また、西の曲輪の西側に大きな竪堀がありました。

西の曲輪西側の竪堀

西の曲輪の北側にも竪堀が延びていました。

西の曲輪北側の竪堀

この北側の竪堀の後ろに土塁状の遺構がありますが、その壁面に石垣のようなものが見られました。ここだけ石垣になっているのは不自然なので、おそらく自然の石だと思いますが、どっちかなと思いました。

土塁壁面の石

菩提山城は大変規模が大きく、見どころの多い山城でした。特に三の丸の西側の堀群は圧巻でした。登るのが急なので、ちょっと大変でしたが、大変さを忘れさせる城でした。

菩提山城 おしまい