三河にも山中城があります。岡崎市羽栗町にあります。
愛知県で最大級の山城です。
新葉が萌える連休前のひととき、ぜひ一緒に山城を満喫しましょう。
日時 4月24日(土)午後1時現地駐車場集合
場所 山中城駐車場(岡崎市羽栗町田中24)
資料代 100円
山中城とは
山中城は国人領主の西郷氏(あるいは岡崎松平氏)によって築かれたそうです。その後、岡崎松平氏が岡崎城、明大寺城などとともに、この地域を支配しましたが、大永4年(1524)、安城松平の流れをくむ松平清康によって攻め落とされました。(実際に戦いの指揮をとったのは大久保忠茂らだそうです)天文17年(1548)松平清康が臣下の阿部正豊に殺害された守山崩れの後は、今川氏の拠点となりました。「医王山」と呼ばれました。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康によってふたたび松平家の城となりました。永禄7年(1564)家康の家臣酒井忠次が山中を領し、天正18年(1590)の関東移封によって廃城となりました。
この城は、北に鎌倉街道(旧東海道)、東に吉良道が走る交通の要衝にあります。西郷氏の頃の縄張りは、主郭、二の曲輪帯曲輪付近と想定され、今川氏がこれを大改修し、徳川氏が改修したことで、現在の大規模な山城となりました。その城域は東西400m、南北200mに及び、県下でも最大級の規模です。
愛知県で最大級の山城です。
新葉が萌える連休前のひととき、ぜひ一緒に山城を満喫しましょう。
日時 4月24日(土)午後1時現地駐車場集合
場所 山中城駐車場(岡崎市羽栗町田中24)
資料代 100円
山中城とは
山中城は国人領主の西郷氏(あるいは岡崎松平氏)によって築かれたそうです。その後、岡崎松平氏が岡崎城、明大寺城などとともに、この地域を支配しましたが、大永4年(1524)、安城松平の流れをくむ松平清康によって攻め落とされました。(実際に戦いの指揮をとったのは大久保忠茂らだそうです)天文17年(1548)松平清康が臣下の阿部正豊に殺害された守山崩れの後は、今川氏の拠点となりました。「医王山」と呼ばれました。永禄3年(1560)桶狭間の戦いで今川義元が討たれると、徳川家康によってふたたび松平家の城となりました。永禄7年(1564)家康の家臣酒井忠次が山中を領し、天正18年(1590)の関東移封によって廃城となりました。
この城は、北に鎌倉街道(旧東海道)、東に吉良道が走る交通の要衝にあります。西郷氏の頃の縄張りは、主郭、二の曲輪帯曲輪付近と想定され、今川氏がこれを大改修し、徳川氏が改修したことで、現在の大規模な山城となりました。その城域は東西400m、南北200mに及び、県下でも最大級の規模です。
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