馬出(うまだし)ってなあに?
4月24日(土)コロナが4度感染を拡大していることを気にしつつ岡崎市の山中城を見学しました。はじめ参加を予定していた方の中に、この状況の中、やはり参加を見合わせるという方もありましたが、せっかく企画したこともあり、感染予防をしっかりして、実施することにしました。
野草がきれいだった
山中城は、県下で最大級の山城ということで、時間がかかることを予想しましたが、登山口から城域までが意外と短く、結局2時間ほどで巡ることができました。山中城は、保存会も立ちあげられ、馬出とかの遺構ごとに説明の看板が立てられ、初心者にもわかりやすくなっていました。また、天候も晴れ時々曇りで過ごしやすく、草花もたくさん咲いていました。特に「ブタナ」というタンポポの仲間の花が盛りで大変可愛らしかったです。

ブタナ花盛り(画像ウィキペディア)
会員から見学の要望?
見学会の前に会員の方から、自分は参加できないが、ぜひ見てきてほしいという要望が出されました。①お城中央の馬出はそんなに重要な曲輪かどうか、②竪堀が随所にみられるが、市場城の竪堀と比べて規模はどうか、③今川氏、徳川氏の改修の痕跡がどこで確認できるか、というものです。みんなで見学しながら考えることにしました。
みんなで考えた
馬出について、馬出とは敵が虎口(城の入口)に攻めてくるときに、それを防御するのが基本的な働きです。ここは、虎口というより馬出の上にある東曲輪を守っている感じがしました。また、他の曲輪と違って土塁が設けられていて、より防御性が高いことがうかがわれました。馬出というより出曲輪(大阪城の真田丸のような)という感じでした。

馬出ってなあに
次に竪堀の規模ですが、市場城(豊田市)にくらべ、小さかったようです。なにより何本も並んでいなくて、1本単独でした。
竪堀を観察
最後に、今川氏、徳川氏の改修の跡ですが、特に城の北端と西端に掘られた堀切の大きさが徳川氏を思わせるものではないかということになりました。

北端の堀切

山中城図、現地案内に加筆
4月24日(土)コロナが4度感染を拡大していることを気にしつつ岡崎市の山中城を見学しました。はじめ参加を予定していた方の中に、この状況の中、やはり参加を見合わせるという方もありましたが、せっかく企画したこともあり、感染予防をしっかりして、実施することにしました。
野草がきれいだった
山中城は、県下で最大級の山城ということで、時間がかかることを予想しましたが、登山口から城域までが意外と短く、結局2時間ほどで巡ることができました。山中城は、保存会も立ちあげられ、馬出とかの遺構ごとに説明の看板が立てられ、初心者にもわかりやすくなっていました。また、天候も晴れ時々曇りで過ごしやすく、草花もたくさん咲いていました。特に「ブタナ」というタンポポの仲間の花が盛りで大変可愛らしかったです。

ブタナ花盛り(画像ウィキペディア)
会員から見学の要望?
見学会の前に会員の方から、自分は参加できないが、ぜひ見てきてほしいという要望が出されました。①お城中央の馬出はそんなに重要な曲輪かどうか、②竪堀が随所にみられるが、市場城の竪堀と比べて規模はどうか、③今川氏、徳川氏の改修の痕跡がどこで確認できるか、というものです。みんなで見学しながら考えることにしました。
みんなで考えた
馬出について、馬出とは敵が虎口(城の入口)に攻めてくるときに、それを防御するのが基本的な働きです。ここは、虎口というより馬出の上にある東曲輪を守っている感じがしました。また、他の曲輪と違って土塁が設けられていて、より防御性が高いことがうかがわれました。馬出というより出曲輪(大阪城の真田丸のような)という感じでした。

馬出ってなあに
次に竪堀の規模ですが、市場城(豊田市)にくらべ、小さかったようです。なにより何本も並んでいなくて、1本単独でした。

竪堀を観察
最後に、今川氏、徳川氏の改修の跡ですが、特に城の北端と西端に掘られた堀切の大きさが徳川氏を思わせるものではないかということになりました。

北端の堀切

山中城図、現地案内に加筆