![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/42/f3/eb56efa6277eb79c4906b10818bbada3.png)
松平記p15
翻刻
外記譜代の侍少うらミ有浪人し、蔵人殿に奉公し此合戦
に高名しける其明年五井へ帰参しける
一 此蔵人殿ハ御一門の内にても忠節の人にて去年片目八
弥と云者、廣忠を村正のわきざしにて突候得てにげ申候
つきそこなひ、早々にぐる処を植村新六郎出仕に出ると
て是に出会くミ堀の中へ、ころび入候処に、蔵人殿走りよ
り鑓にてつき給ふに、はなせ植村と被仰候へども、はなし
不申、大事のやつにて御座候、我等共に突給へと申、扨八弥
をば突殺し植村ハ高名致し御感状被下候
一 織田殿より松平三左衛門に岡崎を何とそ責落し支配有
現代語
前回の末尾(一 鳥居源七を松平蔵人信孝の家臣である松下清兵衛が討ち取った。)松下清兵衛は、松平外記忠次の譜代の侍であったが、少し恨みを持ち、浪人して、蔵人信孝殿に奉公し、この合戦(渡り河原の合戦)に高名をなした。その翌年に五井松平に帰参した。
一 この蔵人信孝殿は、松平家御一門のなかでも忠節の人であり、昨年(天文15年)片目八弥と云う者が廣忠を村正の脇差で突き逃げようとしたが、つきそこない、八弥が逃げるところを植村新六郎が出仕したところと出会い、組み合い堀の中に転んで入ってしまったところへ蔵人信孝が走り寄って鑓で突いた。「はなせ植村」とわめいたが、植村は離さず、とんでもない奴だ、一緒にこいつを突いてしまおうと言い、八弥を突き殺し、植村は高名をなし、感状をいただくことになった。
一 織田信秀より松平三左衛門忠倫に「岡崎をなんとしても攻め落とし、支配なされるべし」と・・・・
コメント
松下清兵衛は、一度五井松平を離れ、この合戦で五井松平忠次の従弟である鳥居源七を討ち、次の年また五井に戻るという、ちょっと不思議な武将です。五井松平がよく受け入れたなあと思いました。三河一向一揆では五井松平を盛り立てる活躍をしているようです。複雑です。
片目八弥が登場しました。一般的には岩松八弥となっています。廣忠はこの岩松八弥に暗殺されたという説もありますが、「松平記」では、ここで襲われたとは書いていますが、死んだとは書いていません。そしてその殺人未遂者八弥を撃退したのが、植村新六郎になっています。先代の松平清康の時も、清康を殺した阿部弥七を成敗したのは植村新六郎で、同一人物と思われます。不思議なめぐりあわせです。