愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

木戸城(1) 安城市

2019年09月16日 19時44分00秒 | 安城市
先日ネットで木戸城を調べていましたら、愛知県埋蔵文化財センターの「木戸城遺跡・古新田遺跡」という調査報告書のPDF文書を見つけました。

木戸城発掘現地説明会(2001年11月)調査報告書より

この調査は、矢作川改修工事に伴い、国土交通省から愛知県教育委員会を通じて、上記センターに委託があり、2000年10月~11月に行われました。

木戸城の位置(地理院地図より作成) すぐ南に矢作川が流れています。また、野寺本證寺、藤井城、浅井西城が近くにあります。

報告書を読むと、遺構として土坑や溝、土塁等が確認されたこと、出土品としてたくさんのセトモノ(すいません陶磁器に知識がなく、壺も茶碗もみんなセトモノという認識です)が出てきたということです。セトモノを見れば、その遺跡の年代が分かるそうで、そういう知識が必要だと痛感しました。
それと、略記号です。SA(柵)、SB(建物)、SD(溝)、SK(土坑)、SQ(土塁)というふうに初めに説明してありましたが、使い慣れていないので、いちいちこのページに戻って確認しなければなりませんでした。県民向けの調査報告書であるならば、もう少し優しい表現でもいいかなと思いました。

木戸城は、文明3年(1471)頃の築城とされ、松平信光が安祥城を攻略した時、松平家創設以来の重臣成瀬氏を呼び寄せ、木戸に居館を設けさせました。これが木戸城で、目的は小川の石川氏、藤井の松平氏に対峙するためだそうです。しかし、石川氏が松平氏に服従したので、木戸城は不要になったそうです。
これが、木戸城の一般的な説明だと調査報告書は述べています。このあと、いろいろと文献的にこの説明が妥当かどうか検討していますが、私には難しいので、一般論を紹介するにとどめます。

木戸城 つづく



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