愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

松平記(49) 松平記

2023年05月30日 16時19分24秒 | 松平記

松平記p49

翻刻
努々(ゆめゆめ)逆心ハ不存と起請文を以可申上候由陳謝仕候によ
り、氏真の出馬無之候へ共、とやかくと評定の時分遠州懸
川の朝比奈備中守、いの谷先陣に相定り内々用意致し罷
有候爰に、肥前守申わけ可仕とて参候、中途にて備中守に
行逢不斉(?)に生害におよひける
一 肥前守然(しか)と申わけ相済不申相果、知行没収せられ子息二
歳成(なり)しを新野佐馬助色々きも入り出家にと相定預り置候
その母松下源二と申ものの妻に成、其子もまま父に付、後に
ハ家康の小姓に成、井の谷に帰り井伊万千代と申、後には
井伊兵部と申是也

現代語
ゆめゆめ謀叛の気持ちはありませんと起請文を以て申し上げようと陳謝したので、氏真の出陣は無くなったのだけれど、あれこれと議論のころ、遠江国掛川の朝比奈備中守泰朝が井伊谷攻めの先陣に決まり、内々に戦支度をし、井伊谷に攻めて行ったところ、井伊肥前守直親が申し開きをしたいと言って出てきた。途中で直親は朝比奈備中守泰朝と出会い、不正に殺害されてしまった。
一 井伊肥前守直親は、このように申し開きも言えないまま亡くなってしまい、領地は没収されてしまった。子息は2歳であったが、新野佐馬助親矩(ちかのり)がいろいろと世話をして出家をさせ預かった。2歳の子息の母は、松下源二という者の妻になった。松下源二は継父になった。その子息は後には徳川家康の小姓になり、井伊谷に帰り、井伊万千代と名乗った。その後には井伊兵部と名乗った。

コメント
5行目、上から3~5文字

難語というか、意味が分からない言葉です。「不斉に」と翻刻し、意味は「不正に」と同じとする、のが現時点での解釈です。

NHK大河ドラマ「女城主直虎」の世界です。井伊直親(三浦春馬)が、かっこよかったです。俳優の三浦春馬さんが亡くなったので一層そう思うのかも知れません。この「松平記」では井伊直親は肥前守となっていますが、寛政重修諸家譜では「肥後守」になっています。直親の2歳の子息というのが徳川四天王の井伊直政です。直政の母は、寛政重修諸家譜では「奥山因幡守親朝が女」となっています。大河ドラマでは奥山朝利の娘しの(貫地谷しほりさん)が母親となっています。松下源二とは、松下源太郎清景(大河ドラマでは古舘寛治さん)のことで、歴史的には弟の松下常慶(和田正人さん)の方が有名なようです。


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2 コメント

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ありがとうございました (midorishako)
2023-06-01 05:25:15
hakusiyuさん
いつもコメントありがとうございます。

「慮」か「斉」か、くずし字辞典で何度も確かめますが、判然としません。意味としては「不慮」の方が正解と考えられます。直親にとっては、まさかの襲撃ということかと思います。
「爰」は「処」だと思います。ありがとうございました。大変勉強になります。これからもよろしくお願いします。
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Unknown (hakusiyu)
2023-05-31 17:58:56
こんにちは〜
大河ドラマの直虎、良かったですね。
色々と思い出されます。
朝比奈、新野、松下、いずれも井伊家の重要な家臣になります。
この時は井伊家にとっては没落寸前の危ない時期でしたね。
「不斉に」は「不慮に」と思うのですが。
その前の「爰に」は「処(處)に」ではダメでしょうか?
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