愛知の史跡めぐり

愛知県の史跡を巡り、その記録を掲載します。

舞木廃寺跡 豊田市

2014年07月14日 19時14分26秒 | 豊田市
 先日、江戸時代の一揆の指導者のことを記事にしましたが、本当は舞木廃寺跡を見に行くのが目的でしたので、そのことを書きます。

猿投の桃
 史跡は桃畑の奥にありました。

桃畑では、桃が袋がかぶせられていました。豊田市では、3年生か4年生の社会科で地域の特産として、猿投の桃を学習します。

舞木廃寺跡

舞木廃寺跡の全景。左に案内板、右に史跡の石碑、ちょうどその中間に塔の心礎がありました。


これが心礎です。六角形でした。

律令時代に思いをはせる
 実際に見学して、こんな山奥によくぞ1000年以上も前にお寺があったものだなあと感心しました。お寺があったということは、この地に人が住んでいたということです。律令の時代ですから、お寺は鎮護国家のシンボルなので、このお寺の周りにはある程度の集落が存在したと思います。
 地図で見ると、舞木廃寺は篭川の東側に立地しています。

 赤い丸は、条里制の名残を残す地名のある地域です。「豊田市のあゆみ」によれば、三反田、一町田、郷地などが条里制と関係があるとしています。

 この図は、上の図の伊保地区を拡大したものです。「郷地」「三反田」の地名が見えるとともに、田んぼがきっちりと仕分けられていて、条里制を思わせるものがあります。(戦後の土地改良かもしれませんが)また、伊保地区から田券などに押されたという伊保郷印が見つかっています。
 こうしたことを考えると、この地は昔から人が住んでいた土地であることが分かり、感動しました。

伊保郷印(豊田市郷土資料館HPより)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿