村木砦石碑
村木砦は、天文23年(1554)織田信長と今川軍が戦った時の今川方の砦です。現地案内板では村木砦の城将を松平甚太郎義春としていますが、「日本城郭体系9」では、松平甚太郎家忠としています。
この戦いは、2つの点で興味があります。一つは、信長が戦で鉄砲を使っていることです。「信長公記」に「信長堀端に御座候て、鉄炮にて、狭間三ツ御請取りの由仰せられ、鉄炮取りかへ取りかへ放せられ」と、後の設楽原の戦いを彷彿させるような戦いを行っています。二つ目は、冷酷無比のように言われている信長ですが、この戦いで死んだ仲間を思い、涙を流していることが「信長公記」に記録されていることです。「御本陣へ御座候ひて、それもそれもと御評なされ、感涙を流させられ候なり。」
とても寒い日で、雪がバンバン降る中を見学に出かけました。
村木砦はその一部が現在八劔(やつるぎ)神社となっています。
八劔神社本殿
この神社の南側は少し低くなっていて、信長の兵が次々とよじ登っていった大堀を忍ばせました。
八劔神社の南側、少し低くなっていました。大堀の名残かなあと勝手に想像しました。
この神社の西側をぐるっと回ってみましたが、宅地化が進み、砦の遺構を感じることはできませんでした。残念。
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