おかげさまで生きてます

日々の暮らしのなかで

二度寝の快楽

2016年03月23日 | 日記
二度寝は何故、気持ちがいいのか?

そのメカニズムを解明しようとは思わないし、
そもそもその学力も不足している僕

しかし、誰もがあの気持ち良さを
体験しているので、そのものの説明は割愛する

さて、なぜ、二度寝は気持ちがいいのか

一つに「禁断の時間」を過ごしていることが
関係しないだろうか

目覚まし時計を設定するとき、
タイトな時間を設定するよりも、
余裕というか、フレキシブルな幅を持って
時間を合わすということが、
多々あるのではないだろうか

その幅は個人差があり、
もちろん、タイトな時間でスリリングを楽しむ人も
おられるだろうが、
当然、その幅は起きなければならない時間を
含んでいるはずなのだが、同時に

「もう少しだけ」

と、折り込み済みの

「寝てもいい時間」

であるという、安心感が挙げられる

しかし、これでは「禁断の時間」を過ごしているという
切迫したものはない

この場合の「禁断」とは、
寝てはいけない時間!ということになる

二度寝の対局にあるであろうと、個人的に思うものに

「うたた寝」

が、ある

例えば、25時から見たいテレビがある
録画はすでに他局を設定しているので、
リアルに視聴する必要がある

あと、2時間

この時、横になってその開始時間を待っていると
寝てしまう事が、あるのではないだろうか

これは、まさに

「寝てはいけない」

禁断の時間を睡眠に犯される現象だ

そして、厄介なことに
この「寝てはいけない」時間帯に襲ってくる睡魔は
なんとも心地よいのだ

起きなければならない
起きておかなければならない

そして、眠ってはいけない時間

諸説あるのは当然ながら、
この禁断の時間説を僕は今のところ、
一押しの要因として学会に発表したいと思っている
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

200円の攻防

2016年03月22日 | 日記
話題にするには、些か時期を逸した気が
しないでもないが、あえて

「爆買い」

の話題を書き殴りたい

昨日、暇を持て余した午後
買い物でもしようかと近くのショッピングモールへ
車を走らせる

柄に似合わないウインドウショッピングというよりも
特段買うものもなかったので、
ブラブラと店内を彷徨うつもりでいたが、
イベント広場に駄菓子屋が出店していることに
気づいた

「思い出横丁」

暖簾が掛かった簡易的な店舗に
昔懐かしい駄菓子やオモチャがならんでいる

出掛けたのが午後というよりは若干夜に近く、
家族連れはフードコートに詰めていたり、
すでに家路についた後だったと推測するが
賑わいはさほどなかった

しかしその少ない人の中には
小さな買い物かごを手に
目を光らせている子どもたちがいた

『懐かしくはないよね?』

呟いてみる

久しく駄菓子屋に足を運んではいないが、
その駄菓子が今も売っているようには
見受けられない

駄菓子屋自体が少ない昨今、
コンビニでは並んでいないような
それこそ、僕が幼い頃に「主役」だったお菓子が
並んでいるのだ

姉妹がいろいろ吟味しながら
そんな駄菓子の山を前に、迷っている

「これは、いらない」

値段をみれば、10円の値札

そうか

金額が決まってるんかな?

自分勝手に想像してみると同時に、
そうだ、これが醍醐味だな!と、小学生当時を思い出した

ひとつひとつ、

「これ、なんぼ?」

駄菓子屋のおばちゃんに聞きながら
遠足のおやつ代「200円」の中でやりくりしたものだ

今でも時折、
嫁さんと値段設定を300円ほどにして
駄菓子屋での買い物を楽しむ時があるが
一度だけ、値段を気にすることなく買う

「大人買い」

をしたことがあったが、
その買い物がいつもと同じような興奮を
覚えなかったことを覚えている

今の財力なら、
駄菓子程度の金額、気にせずに買い物できるし、
なんなら、開封されていない予備の箱ごと
すべての味のガムを買うことだって
出来なくもない

あの姉妹の前でその行為におよべば
まさに「爆買い」をする、オッサン!ということ
なるだろう

それがたとえ羨望の眼差しであったとしても
僕に充実感はないだろう

駄菓子を爆買い!

本家・爆買いとは、まったく異なるレベルなれど、
やっぱり駄菓子は、自分の欲しい物を
決められた金額の中で買うことこそが、
醍醐味であり、正解だと
改めて思った

ちなみに僕が使った金額は
パラシュートソルジャー100円、ソフトグライダー200円
小石チョコ250円だった






コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

やはり不便なのである

2016年03月21日 | 日記
カーナビが壊れて久しい

この場合、
あえて主語を省いて書かせてもらったが、
もちろんこの

「カーナビ」

が、僕の愛車に搭載されている
カーナビゲーションシステムを指していることは
みなさんもご存知だろう

ちょうど一年ほど前だろうか
突然、僕に道案内をすることを放棄した彼

あえて

「彼」

と、擬人化してみたのは、
話を進めるための便宜上のためである

そんな彼

一ヶ月前までは期限よく、ラジオやCD、
または

「撮っておいてよかった」

MDの音源を流してくれていた

しかし

ある日

彼はその行為も放棄してしまった

つまり

車内はその日から無音になった

愛車といいながらも、買い替えの日は近い
昨年、彼が自らの仕事を辞めてしまった時に
彼だけ先に交換しようかな?とも思ったが、
愛車と共に歩んでいく道を僕は選択した

それから数ヶ月

音のない車内を楽しんでいる僕がいる

車本来のエンジン音をBGMにしながら走る僕がいる

しかし

元来方向音痴の僕にとって
彼がその仕事をしてくれないのは、
やはり不便なのである

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする