鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

『グーグーだって猫である:大島弓子・著』~いつの日にか、慈愛に・・・。

2010-05-28 21:01:55 | Weblog
朝は、雨。お天気、ゆっくりと回復基調?気温は、低く寒い。


大島弓子さんは、哲学的少女マンガの先駆者である。
一話完結の珠玉の作品をたくさん書いていらっしゃる。
もともと、特に短編には、他の追随を許さないゆるぎない才能がある方なのだと思う。

・・・しかし・・・最初、私が遭遇した大島弓子さんの作品は、全く理解できなかった。
無理も無い、小学校低学年では、わかるまい・・・と思う。
年齢が上がるにつれて、だんだんとその深い世界に惹かれて行き、大好きな作家のひとりとなっている。

こんなに才能のある雲の上のようなひとなのに、猫との日常をエッセイ風に描かれた作品には、等身大の動物大好きおばさん(失礼!お姉さまか・・・)で登場されるのには、驚かされる。
・・・ほんとうに、優しいおばさんなのだ。
大島弓子さんのようなマンガの神様に選ばれたひとなのに、身近に感じてしまう。
コレまでの画業や著作、印税と・・・多分、庶民とは、金銭感覚がケタハズレに違うとおもうのだけれど、都内にご自宅を新築するにあたり
『・・・宝くじがあたっていたらな・・・』
とポツンと呟かれる(『グーグーだって猫である・3』)。

かの『サザエさん』の著者・長谷川町子さんは、庶民感覚の4コママンガを連載されていたけれど、気に入った絵画などは、糸目もつけず、買ってしまうし、やはり、庶民を描いていても、ご自身は、富裕層だし、庶民感覚とは、ほど遠く、雲の上のひとだったと何かで読んだことがあるのだけれど(それでも、長谷川町子さんは、ほんとうにマンガの神様だし、庶民感覚だから、どうのこうのと言うつもりは、ない。庶民なんて、偉くないし、全く、普通の存在だから、庶民な訳で・・・。庶民であろうと、なかろうと、長谷川町子さんが、昭和の偉大なマンガ家であることには、変わりはない)。

初刊(『グーグーだって猫である』)は、もう10年以上も前だろうか。
そのころ、子宮ガンの手術をされた記述があって、ほんとうにご本復されてよかったと大島作品のファンとしては、喜ばしい限りだった。

ガンの闘病記風の『グーグーだって猫である』も、何故か、ガンという重病をカンジさせないほど、軽妙なカンジで、読んでいて、ほんとうに、このひとの凄さを感じる。

・・・慈愛・・・なんだろうか?
読んでいて、癒されてしまう。
この感覚は、なんなのだろうか・・・。

やはり、作品全体に広がる・・・慈愛・・・なのだろう。