週明けの月曜日に相方と映画に行って以来、ぼや~~~としていたら、あっと言う間に週末になってしまった。
その間、相方の会社は、事業売却、取引銀行口座凍結、債権者からのひっきりなしの電話・・・で、右往左往していたらしい。
立春の日の朝、地方紙が、『破綻』を報じたため、ネット上の倒産情報に、リンクされているし、情報の伝わり方の凄さに驚いている。
驚いてはいるが、私に出来ることは何もないし、何かしようにも、身体を動かすことさえ億劫で、ブログなども、書く気にならず、ただ、時間の経過の中にひとり、取り残された感もあって、世間から取り残されて間もなく1年半か・・・と思う。
今は(・・・というより、今も)、布団の中で、もぞもぞしていて、冬になると、軒下や木陰に貼りついている蓑虫のような体たらくである。
蓑虫は、蓑虫なりに、防寒、越冬などの目的があって、あの姿だけれど、今の私は、蓑虫以下の布団蓑虫女と化した。
・・・ただ、毎日。時間の流れの中に居るだけである。
子供の頃。
冬になると見かける蓑虫をみて、蓑虫は、暖かいみのの中で、冬をこし、寒い朝に学校へ行かなくてもいいのだから・・・出来ることなら、蓑虫になってみたいと思っていた。
のちのち、知ったことだけれど、蓑虫は、ミノ蛾の幼虫で、要するに大嫌いな蛾であるけれど、蛾であっても、何だか、暖かで、素朴で、地味な色と形で、冬の日溜りの中、ゆるゆると過ごせるのは何よりの幸せだと思っていた。
いまは、人間蓑虫状態だけれど、やはり、全てを遮断して完全なる蓑虫女と化する訳にも行かない。
蓑虫が、みのを作る習性を利用して、綺麗な色の布の切れ端や、色紙を細かく切ってやって、それで、蓑虫に綺麗なみのを作らせる子供の遊びがあると聞いた。
随分と雅な遊びだな・・・と思う。
小箱に入れておいた小さな虫が、端切れや毛糸・・・さまざまな色彩の糸や紙を纏って、アーティスティックな服?を纏った姿を、再び箱を開けた時にみられる楽しみ。
そんな時間の経過を楽しむことは、なくなった。
今は、暇は、敵であり、潰すものになっている。
同じ時間でも、使うのと潰すのでは、意味が違う。
やっても何の報酬もないゲームなどは、暇つぶしの一例のようだし、テレビなどもそうかもしれない。
蓑虫女と化したからには、時間に左右されず、ただ時の流れを感じていたいが、それがなかなか難しい。
益体もないことに時間は、使われ、どんどん置いていかれる日々だ。