鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

メメント・モリ③/お彼岸明け

2021-09-26 21:04:09 | Weblog

どんよりした曇り空、パラパラと雨も・・・。

 

お彼岸最終日。

春のお彼岸は、寒い季節が終わって、暖かい季節に向かい、秋のお彼岸は、厳しい暑さも納まって、豊穣の秋へと向かう・・・そんな時期。

亡くなりしひとを思い、苦悩、煩悩から解放された彼岸を思う。

 

母が亡くなっての初彼岸。

母は、無事、彼岸にて、会いたかったひとにあえて、身体の痛み、不調から解放されているだろうか・・・。

 

私は、れい(零・ゼロ)感なんで、そっちの世界のコトは、分からねども・・・。

母のように、『死』を意識することなく、亡くなった人は、死んだという自覚がなくて、亡くなった場所で、地縛されるひとが多いと聞いた。

特に、現世に強い様々な執着を残して、亡くなったひとに多いらしい・・・真偽は知らねども。

もしそうだとしたら、母は、もしかしたら、まだ茶の間に居てるかも・・・などと思い立ち、いつも座っていた炬燵に、お茶など置いておくこともある。

飲んでくれたらよいのにな・・・などと思って。

(母は、死を怖がってはいたけれど、充分、生きた感もあって、執着などあったのかどうか・・・???そのへんは、よくわからない・・・。病院や施設で死ぬのはイヤ、家で死にたいと常々申していたので、希望は、叶ったように思えるのだけれど・・・というよりは、居眠りしていて亡くなったようなので、自分の意志で、死を決めたのかも???生前はメンヘラで、ヘナチョコなれど、自分の希望は通したので、或る意味、コレも一種の執念だったのだろうかね・・・???)

実際、死んでみないことには、わからないのだけれど(もし、死後に、母に会えたら、問うてみたい気もしている。十数年前の手紙にて、アチラで、待っているということなので、是非、待っていて貰いたいものだ。でも、そんな手紙、書いたことも忘れているんだろうな)。

何か、それなりに、そのへんにある物理的な?空気とか、電気とか・・・そんなもので、霊というか、魂というか・・・そんなものを、はかり知ることはできないものだろうか・・・???

 

生前と死後では、体重が、約20g(・・・だったような気がするけれど、記憶違いかもしれないけど)程度、違うと聞いたことがあって、魂の重さは、約20g前後なのか・・・と思ったことがある。

いろいろと思い悩んだり、苦しんだりする魂・・・(意識とは、また別物???そのへんよくわからんけど)の重さが、物理的に約20gって、どうよ?

軽いのか、重いのか・・・???

 

此岸の物理では、測りえぬことなのかなぁ・・・と、彼岸明けでも、相変わらず、馬鹿気たことを考えてみる(ヘタな考え休むに似たりというけれど、たんなるエネルギーの無駄遣いなのかも。どうでもいいことばかり、ツラツラと考えていたりして、やはり、馬鹿は、一生馬鹿なのかもしれぬ)。