台風14号 太平洋側を横断中。
風雨激しくなったり、止んだりと間断なく・・・。
年に一、二回程(お互いの誕生日くらいですかね?)、メールのやり取りなどして、消えそうで、消えない縁というか・・・微細になってきた繋がりというか・・・小学校からの友達のお母さんが、認知症になって、数年。
あまり状態がよくなく、娘である友達の顔も分からなくなってきて、例の流行病で、月一度、面会時間15分ということが書いてありました。
ウチの母と年齢が同じで、平均寿命は、クリア。
そんな話を聞くと、果たして、ウチの母は、どうだったのだろうか?とツラツラと思います。
母は、『死』を極端に怖がり、些細な体調変化に、異常と思われる程、反応して、心配し、気を病み、それで、余計悪くなり、それで、そのときは、病院へ行ったり、薬を飲んだり、騙し騙しで、翌日には、ケロリ・・・として、そしてまた・・・というループを繰り返していたのでした。
認知症にもいろいろな症状があるし、施設のベッドで、拘束されたり・・・とか、そんな話も聞くけれど、ウチの母に関しては、ボケることなく、脊柱管狭窄症からくる脚の痛みなどは、ひどかったようだけれど、なんとか自立して家の中なら、歩けたし、亡くなる直前迄、自分の洗濯物は、洗濯機に入れて、サンルームへ干す・・・なんてことは、出来ていたし、新聞、本なども読んでいたし、アロー&クロスワードパズルの雑誌など解いていたし、友人達に手紙なども書いていた・・・。
普通に生活できていたのが、よかったのか・・・と???
母のように、或る意味、基地外(気違い)じみた神経質さで、迫りくる死の恐怖に耐えるのだったら、いっそ、認知症で、全てを忘れてしまった方が、よかったのではないか・・・と思うのでした。
認知症は(多分ですが)死の恐怖を緩和させるためにあるのかもしれない・・・とか思ったりします。
周囲のひとは、大変だし、親が、子供の顔を忘れてしまうというのは、辛いし、生活全般を人の手に委ねなければならない・・・というのも、苦痛なんだろうけれど。
母は、あれ程、恐怖し、心配し、気がヘンになるくらい悩み続けた『死』の訪れが、穏やかだったのは、天の配剤というか、母に対するご褒美だったのかもしれないし、違うかもしれないし???(零感なので、サッパリわからん???)
居眠りをしていうちに、すぅ~と逝ってしまいました。
あれ程、怖がっていた死を、いとも簡単に、あまりにも、あっけなくクリアしてしまいました(恐怖に脅えなくてもヨカッタんじゃないかと・・・)。