くもりがち。
昨日は、真夏日だったけれど、一晩で、秋へ移行したような空気。
母と『死』の関係は、恐怖そのもので、常日頃から、
『死ぬのは怖い。』
の一言で、闇雲に死を恐れていて、それが私にも伝染して、やはり『死』を考えると、何のために、生きていたんだろう?と思い、他のひとに比べたら、何て、つまらない人生だったんだろう・・と思わざるを得ない。
・・・つまらない人生・・・やりたいコトが、わからず、やってみたいコトには、いろいろと壁(体力面とか、経済面とか・・・そんな障害があるなら、やらない方がマシかも?とか)があったりして、楽しいのだか、苦しいのだかで、目の前で、躊躇してしまう。
仕方なく、毎日をやり過ごしてきて、残り時間は、もういくらも・・・ない。
そんなことを思っているうちに、都留晃一さんという人を知った。
もう20年くらい前に、若くして亡くなられた方で、本なども何冊が、遺しておられるけれど、版元が、増刷しないので、古書市場では、高額な値段で取引されている。
YouTubeなどでも、いろいろな方が、紹介している。
その中で、私の『死』の概念が、変わったと(言えるのかどうか・・・微妙なところだけれど)思われる動画があった。
「その間にあるもの」津留晃一さんのメッセージ集より18/42-聴きものがたり
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『死』とは、魂の飛躍の瞬間であり、急激な魂の成長が、もはや、この肉体に留まり続けることが不可能となって起きてくる現象であると知ったとき、あなたの中の価値体系が、全て崩壊してしまうかもしれません。
どんな死に方であれ、例外なしに、死とは、魂の急激な成長の時であるなら、葬式は、結婚式以上の晴れやかな儀式となるはずです。
もし葬式をするならば・・・の話ですが。
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少し、気?が、ラクになった気がする???
母は、あれ程、恐怖にさいなまれた『死』を軽く超えてしまった。
本当に、居眠りしている間に。
・・・生きている間に、越えていたら、もっと楽な人生だったかもしれない。
あっけないくらいに、越えられないと思っていた『死』を越えてしまった。
(或る意味、尊敬に値するかも知れぬ)
彼岸にて。
もう身体の痛み、不調に悩まされることなく、私が行くのを(たぶん)待っているんだろう。
数十年前に、数十年後に送られるタイムカプセル的手紙のイベントで、母が私の宛てた手紙の最後に、
『先に行って待っているよ。』
と書いてあった・・・待たれても困るけれど。
彼岸とは、どんなところだろう・・・などと、相変わらず、馬鹿気たことを考えるお彼岸。