鼎子堂(Teishi-Do)

三毛猫堂 改め 『鼎子堂(ていしどう)』に屋号を変更しました。

メメント・モリ

2021-09-24 21:02:16 | Weblog

良く晴れた真夏日。

 

メメント・モリ・・・いつか訪れる死を忘れるな。

 

母は、いつも死の恐怖の隣にいた。

幼くして実母を亡くし、長じては、いつも、何処かしか、身体の不調があって。

そして、その不調を、私に言い続けた。

『実母の享年(34歳)迄は、生きられないかもしれない。』

その予想を大幅に更新して、母は、88歳(実際は、89歳)迄、生きながらえた。

88年間の生涯で・・・たぶん、『死』を意識しない日は、なかったのではないか・・・。

私が知る限りだけれど、母を悩ませたものに、『中耳炎』が最初で、コレは、晩年に、聴覚を殆ど失う原因ともなった。

それに伴う、めまい、耳鳴りには、悩まされ続けた。

 

 

胃腸の不調。消化器系が弱かった・・・これも、手術とかで、治る類ではなく、いつもなんとなく、調子が悪い。

 

そのうち、職場や家庭内での神経戦による不眠。

これは、半世紀以上、母を悩ませる症状となった。

コレもたぶん、耳の不具合から来る随伴症状だったのかもしれない。

眠りたいのに、眠れない・・・コレは、かなり辛かったと思う。

 

ぎっくり腰からはじまった腰痛。

 

転んだり、打撲したり、切り傷、擦り傷・・・などは、日常茶飯事。

 

人生のオーラスには、脊柱管狭窄症による足の異常。しびれ、冷感。

脚に水をかけられたようにヒヤーとする・・・としきりに訴えた。

 

テレビに洗脳され、重大な病かと、日々、自分の症状と照らし合わせ、不安を煽り、その病状の書籍を買い求め、読むには、読むが、一旦、症状が、軽くなると、他の不調が気になる・・・といったループ。

 

毎日が、『メメント・モリ』であった。

気の毒と言えば、気の毒だけれど、それに付き合った私は、たぶん、もっと気の毒だっただろう。

よく頑張ったワタシ・・・とは、思うけれど、私も、身体が動かないときは、イライラしたり、怒鳴ったり、もっと母に良くしてあげればよかったとおもうけれど・・・。今更ながら・・・。

最後迄、一緒に居たのに、決して、相容れることのなかった私の母と、その母の存在と一緒だった『死』という友達。

いつも忘れずに一緒に居たのに、最後は、その『死』を意識せず、居眠りしながら、逝ってしまった母。

いまや彼岸の住人となった。