どんよりくもりがち。
気温も下がって、随分と秋めいて来てはいるものの、昼間は、まだ蝉(ツクツクボウシ)の声。
幼き頃より、小学校の半ばくらい迄、私は、所謂、薬の錠剤が飲めない子供でありました。
どうしても飲み込めないので、糖衣錠の薬などは、母が、カナヅチで、叩いて、粉状?にして飲ませておりました。その当時は、どうだったかわかりませんが、胃酸で、融けてはマズイ成分なども含まれていたのではないか・・・と、思ったりします。
何事も、人並みに出来なくて、(今考えれば、人生において、それほど重要でもない些細な)それが所謂コンプレックスとして、心の中に、堆積し、自己否定感マックスの現在の状態になったのでありましょう。
人並み外れた臆病者で、ヒトが怖くて、いつもナニかに脅えて居る・・・情けない有様でございます。
錠剤をのみ込むことが出来ぬコト。
一人前の給食が食えぬコト(放課後迄、教壇に座らされて、食べる迄、無理強いされたトラウマ)。
ファンタ(炭酸飲料)が飲めぬコト。
こんなことできなくたって、別に死ぬ訳でも何でもないのに、こんなコト(コレ以外にも私の世界の殆どは、ワタシには出来ないというもであった)のために、つまらぬ劣等感に押しつぶされそうな毎日でもありました。
そして不思議なコトに、同じコトをしても、断然、ワタシの方が、罪が重く、罰も重い・・・と、思わざるを得ないことばかりでありました。
ソレゆえ、完璧を求め、ヒトが見逃してもいいようなコト迄、気を配り、後ろ指を指されぬよう最大に努力もし・・・そして、草臥れ果てたのが、現在・・・というのでしょうか。
私は、薬の錠剤が飲み込めない子供でした。
そして、今でも、錠剤をのみ込もうとすると、気管に入ってしまうようで、怖いので、慎重に飲み込んでいるのです。
ビタミン剤とか、胃薬とか、サプリメントとか・・・。
でも、時々、こんなものが気管に入って、肺に達して、死んでしまったら、どんなにラクだろうか・・・と思ったりすることもあります。
気管に、水や食物が入って誤嚥すると肺炎になるらしいですが、そもそも気管にちょっとでも入ると七転八倒するくらい咳込んで、苦しいので、やはり、誤嚥で死ぬというもの、ごめん被りたいと思いなおしたりします。
錠剤を人前で、飲まねばならぬシチュエーションが、訪れて、某医院で、薬を出されて、そのときは、母がおらず(たぶん、姉の付き添いだったような記憶があって)、母が居れば、
『この子は、錠剤が飲めないので、別のお薬を・・・。』
ということになったのだと思いますが、姉は、(たぶん)そんなことは、どうでもよくて、アホウな妹にさっさと薬を飲ませて、帰りたい・・・くらいの感覚だったと思います。
錠剤が飲み込めなくてハズかしい・・・どうしよう・・・どうしよう・・・どうしよう・・・やっぱり、私は、バカなんだ!バカだから錠剤が飲めないんだ・・・でも、もしかしたら、病院の先生の前だから、飲めるかもしれない・・・。
そんな葛藤があって、私は、人生で、初めて、錠剤をのむことに成功したのでした。
ソレ以来、あまり苦悩?せず、錠剤の飲める人生になったのですが、それでも、その先、フツーのひとには、どうでもよいような些細なコトで、私は、疲れ果て、そして、錠剤を咽喉に詰まらせて、死ぬことまで、考えるようになったという・・・バカを通り越して、救いようのないハナシです。
そして、コレは、同じように、どうでもいいこと、フツーのひとは、何とも思わないコトを、何時までも、気に病む母と同じ思考回路をそっくりそのまま受け継いだ結果だと思っています。
・・・つくづく・・・あのひとは、私にとって、何だったのだろうか・・・と、やはり考えても、仕方のないことばかり考えてしまう少し寒い九月下旬の月曜日。