くもりがち。薄日は、差すものの、寒い週明け。
宵のうちから雨降りだす。
(昨日の続きで)体重が、目減りして、もう少し、食べた方がいいかもな・・・と思いながら、ネットニュースのヘッドラインなどみていると・・・
『給食完食指導で、不登校相次ぐ』
という記事が。
ガッコのセンセイが、
『給食は、残さず食べましょう。』
という指導をして、食べたくないもの、きらいなもの、アレルギーのある食品を、食べさせられて、不登校になり、人間不信に迄なっただの・・・まぁ・・・そんなおハナシだったようで。
私も、給食を全部食べた記憶は、1度か2度くらいしかない(つまり、小学校6年間で、残さず食べられた日は、数えるほどしかない・・・ってことです)。
最近のセンセイは、大変だな・・・。生徒も、親も、モンスターだもんな。
センセイの方が、病気になるわな・・・。
私の小学3,4年の担任が、キツイ(性格も化粧も)女教師だったんで、給食を完食する迄、教壇に正座のうえ、5時間目、6時間目迄、全部食べるまで、席に戻ることを許されなかった。
喰えんもんは、喰えんのだが・・・。
私は、幼児の頃から、もぉのすごぉい偏食で、この世で、食べられるものが、あまりなくて、母親は苦労したらしい。
こんなに食べないのでは、育たないかもしれない・・・と、恐怖心さえ覚えたらしく、私が、食べる物しか与えず、嫌がるモノは、無理強いすることはなかった。
よって、味覚が、発達しなかったため、給食の殆どが、食べられなかったのだった。
別段、アレルギーがあったわけではなくて、胃が小さく、多食できん体質でもあったようだ。
完食を強要された仲間に、男子生徒2名が、常連で、いつも3人が、午後の教壇で、完食を強いられたが、そのうちのひとりが、嘔吐する事態になり、親から、クレームがきて、問題になって、この完食強要が、中止されたのは、私にとっては、有難かった。
食材を大切に、感謝して食べることは、当然なのだけど、個人の体質、アレルギーなどもあるし、嫌いなものを強要するのは、やりすぎであったのだろう。
しかし、あの頃(昭和の後半)は、センセイが、強かった。
一強独裁だったからな。
今にして思えば、そんなに叱られることとなどしたのだろうか・・・と思う。
私は、あの完食を強いた女性教師は、大嫌いだった。
『先生について、思うことを書きなさい。』
という課題について、センセイに対するリクエストなど、書かされたが、正直に、
『もっと、優しく教えてください。』
と、書いたワタシは、バカだった。後日、センセイは、みんなの前で、
『センセイは、優しくありませんか?もっと優しく教えて下さいと書いたひとがいます。』
と名指しで、立たされ、他の生徒からも、バッシングされて、泣きべそをかく羽目になった。
先生に味方したお調子モノに、つるし上げられた。
(自分ひとりじゃ、なにも言えないくせに、こういうときだけ、攻撃してくるヤツも多かったな)
それ以前でも、内向的だったが、更に、内向的になり、ヒトの顔色を伺う、可愛げのない子供になったのは、たぶん、この頃・・・。
この頃が、たぶん・・・体重が、30Kg台だったような気がしている。
アレから、20㎏近く増えて、また戻って?昔のことを思い出した。