終日くもりがちで、寒い一日。
とてもとても・・・。
気分が、落ち込んできて、もう何もかもが、面倒。
私は、究極のダメ人間で、このまま生きていてもいいのかな?とすぐに思ってしまう自己否定が強くて、こういう自分がどうにもこうにも、出来なくて、本当に、もう面倒で、面倒で。
もうバカでも、アホでも、なんでもいいわ。
生きている価値なんか、微塵もないけれど(よく使われる1mmとか・・・って表現よりも、微塵の方がいいような気がする・・・んなこと、どうでもいいけれど)。
微塵(みじん)か・・・。
ミジンコのミジンは、ここから来ているのかな?とか、バカなコトをつらつらと考える。
不安だとか、自己否定は、一瞬だけ消えるけれど。
私の母も・・・。
身体が不調のときとか、イヤなコトがあったときとか・・・すぐに、死にたい!って言ってたけれども。
でも、実際に死ぬのは、怖いとか、訳わからんコトを言っていたりした。
・・・では。死ぬときのシュミュレーションをしてみよう。
・・・例えば、自殺の名所?青木ヶ原樹海で、死ぬとして。
今の時期は、極寒で。
陽が沈み、あたりは、真っ暗になって、あるのは、たぶん月の光だけ。
寒い・・・これは、凍死のパターンだけれど。
寒さで、絶命する迄の時間って、どんなもんだろう。
やはり寒いんだろうな・・・とか。
寒いのはイヤだな・・・とか・・・。
夏だったら、夜になって、獣とか、浮遊霊とか出たらイヤだし。蚊をはじめ虫に刺されるのはイヤだな。
やはり、絶命迄の時間が、耐えられない気がする。
自殺は、絶命迄が、スゴくイヤだな。
絶命して、訳がわからなくなってしまえば、問題なさそうなんだけれど。
下手に生き返ってしまい、身体が動かなくなったりして、本当の寿命を迎える迄、長い・・・のか、短いのか、わからないけれど、きっと後悔ばかりしてしまうんだろうなぁ。
以前、渡辺淳一の著書で、死後の様子が、一番きれいなのは、凍死と書いてあったような気がする。
一酸化炭素中毒も、発見直後は、頬が、バラ色に染まって、綺麗だそうだ・・・(記憶違いだったらすみません)。
やはり死に際は、綺麗な方がいいよな。
誰かに発見されるのであれば。
千年だとか、二千年だとか・・・遠い過去の時間を越えて、ほぼ、生存状態時のままで発見される?木乃伊(ミイラ)とかあるけれど、数千年先の人間に、その姿を見られるのも、なんだか、恥ずかしいな。
死蝋化する・・・なんてのも、或る程度、条件が整えば、可能かもしれない。
絶世の美女なら、イザ知らず。
フツーのおばさん(←私のコトです)には、まあ縁のないハナシなのだな・・・(早く、灰になって、消えてしまった方がいいのかも)。
母の遺体は、ン十万かけて、エンバーミング処理とかいうのを施してもらった。
とても綺麗な遺体だった・・・。
コレなら、ヒトにみられても本望だっただろう・・・と思っていたりする。
若い頃から、数年前迄は、御洒落なひとだったからな。亡くなる1年前くらいから、身の回りに気を使う余裕がなくなっていたような気もするけれど。
もう婆さんなのに、グッチのエンヴィ(私が、飽きてそのへんに置いておいたパルファム)なんかつけて、楽しんでいたし。そして、それが、全然、違和感がなかった。あんなにグリーン・グリーンした香りなのに。
自力で、死に向かうには、ちょっとチカラ不足でもあるので、母よ!約束どおり、向こうで待っていてくれるなら、もう少し足を延ばして、早く迎えに来てくれないかな???と限りなく、気の滅入る月曜日。