友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

3・11で何か変わったのか

2012年03月11日 19時37分56秒 | Weblog

 3・11、何とも嫌な響きである。9・11とか2・26とか、特別な日をこんな風に記憶に留めておくということなのだろう。この日のことはよく覚えている。私は名古屋に居た。揺れた時はビックリした。比較的近い場所で地震が起きたと思った。後で東北と知って、こんなに遠くまで伝わるものなのかと驚いた。地震だけならともなく、津波が猛威となって街を襲い、さらに原発事故が発生し、日本中がパニックになった。世界の目が日本に注がれた。

 追悼式が「君が代」と共に始まった。野田首相がいつもどおり「全力で取り組みます」と述べ、天皇が追悼の言葉を述べた。日本は間違いなく元首国家だと痛感した。天皇自身が強くそれを意識されている。皇室が生まれて以来、常に政治の道具にされてきたけれど、そういうものと理解されているのだろう。皇室を辞めたい人はどうすればいいのだろうと要らぬ心配をしてしまう。辞めたい時はいつでも辞められるような法律は出来ないものなのか。人に職業選択の自由が有るのに、皇室には無いとは気の毒だと思う。

 あの日のことを多くの人が語っている。祖母は避難するために障害のある孫娘を車に乗せた。すぐ傍まで津波が押し寄せて来ている。自分が車に乗り込めば、津波からは逃れられなくなると判断した祖母は、「早く行って」と運転席の夫に手を振る。孫娘は助かったけれど、祖母は津波に飲まれて亡くなった。車で避難している途中、渋滞となり車は動かなくなった。ある人は傍の家に駆け込み、2階へと上がって助かった。迷った人は車ごと濁流に流された。そんなわずかな差が命を助けたり奪ったりしている。

 原発事故の直後、首相官邸は情報が届かずパニックだったことが新聞報道で明らかになった。官僚政治からの脱却をスローガンにした民主党政権に、官僚機構は非協力で答えたのだ。官僚たちを槍玉に挙げていた菅直人前首相はしっぺ返しを食らった。だから野田首相は官僚の言いなりになろうと腹を決めた。人の命は運命によって左右されるけれど、政治は人が作り出したもの、どのようにでもなる。それなのに、人が求める方向とは全く違う方へと行ってしまう。いったい、なぜなのだろう。

 復興を目指すというのは、元に戻すことなのかと思ってしまう。確かに、自治体の首長や職員やそれにつながる人々は、元に戻らなければ仕事が無くなって困るだろう。けれど自治体が無くなる選択もあると思うが、首長の誰もがそんなことは言わない。放射線で汚染された瓦礫の処分をどこの自治体も受け入れたくない。それは当然なことだ。だったら、原発事故が起きた福島原発の周囲に置くより他には無い。絆とか連帯とか言っても、自分のことが大事なのだ。

 原発の研究は進んでいるので、より安全な原発も出来るだろうと言う評論家がいる。原発を無しにすれば電力不足が生じて経済の発展は無くなるとも言う。電力不足になれば生産が上がらないのであれば、それを受け入れればいいではないかと思う。電気に頼る生活が変わるきっかけになるだろう。3・11で何かが変わっただろうか。政治も社会も会社も地域も学校も何も変わらない。でもきっとどこか深層で、何かが変わっていると私は思う。

コメント
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