友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

今日はひな祭り

2012年03月03日 17時51分47秒 | Weblog

 今日はひな祭り。「あかりをつけましょ ぼんぼりに」とひな祭りの歌が聞こえてくる。ゆったりとしたテンポで、いかにも女の子の祭らしく、優雅な雰囲気がある。正確に知らなかったけれど、この歌の題は『うれしいひなまつり』で、作詞はサトウハチローだという。小さい時から聞いていたような気がしたので、いつできたのだろうと調べたら、昭和10年に作られたものだった。

 

 それにしてもこの歌のために、みんなが誤解をしていると思う。雛人形の中心にいる男雛と女雛を「おだいりさまと おひなさま」と歌っているが、内裏は宮中の御殿のことだから間違っている。それはさて置き、私にはその先の、「お嫁にいらした 姉さまに よく似た官女の 白い顔」が妙に残っている。それに女官たちの袖口から伸びた白い手を大人っぽいと感じていた。

 

 カミさんは長女のところからひな祭りの誘いを待っていた。「土曜日だからといっても、仕事かも知れないし、向こうにも都合があるんだから、お祝いのケーキかお菓子を届けておけばいいじゃーないか」と私は言うが、聞く耳はないらしい。長女のダンナの家でも、忙しい長女のことを気にして、どこまで手を出したらよいのかと迷ってみえるだろう。人の気持ちは行き違うことが多く、そのためにトラブルになってしまうこともある。

 

 今朝の朝日新聞『悩みのるつぼ』で、60歳の主婦が上野千鶴子さんに「もし、上野さんが絶世の美女に生まれついたとしたら、現在のように、社会の底辺にまで目をやる社会学の道を進んでいたでしょうか?」と質問している。しかも女性は自分を若い時は「きれい」といわれる部類に入っていたと前置きしている。なんとまあ、非常識な女性かと思うけれど、本人はきっと「きれいと言われて勉強せずに来てしまった」ことに悩んでいるのだ。

 

 自分はきれいと言われてきたので勉強できなかったが、上野さんが学者になれたのはブスだったからなのでしょうと念を押していることに、この女性は気が付かない。「あなたはきれいだったから、学者になれなかったけれど、今、読書に惹かれているなら、遅くありませんよ」という答えが欲しかったのだろう。上野さんは腹を立てることも無く、「容貌は容貌、幸福は幸福、知識欲はそれとはまた別。そのあいだに何の相関もない、っていうことぐらい、本を読めばわかりますよ」と答えていた。

 

 多分、質問した女性は回答が分からないだろう。上野さんもそれを見越して答えている。自分が言っていることがどんなに失礼なのか、分からない人はいる。純真な心の持ち主だけれど、鈍いのだ。先日の朝、「お世話になったから、お昼に美味しいものをご馳走する」と電話がかかってきた。彼女の悩みを聞いてあげただけのことであったが、その後、どうなったのか、ちょっと気になったので、彼女が指定するお店に一緒に行った。

 

 「ご馳走する」というのだから当然彼女がメニューを決めると思っていたら、「どれにしますか?」と聞くので、早く食べられる1千円のランチを頼んだ。以前、抱えていた問題である貸した金は返ってきたと言う。「それはよかったね」と言うと、自分はお金には困っていないこと、1億2千万円のお金を受け取ることができるなどと誇らしげではなく、淡々と話し続ける。それだけで私の方はお腹いっぱいになってしまった。

コメント
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