友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

素人集団の悲しさ

2012年03月27日 20時11分55秒 | Weblog

 暖かくなって、久し振りに井戸掘りに行くことになった。場所は名古屋の真ん中に近い神社の境内である。古い地図を見ると、名古屋城を西の端にして、東に台地が広がっている。また、名古屋城から北側は一段低くなっていて、これも東に多少入り組んでいる。名古屋城はそんな台地の北西の外れに位置しているようだ。この台地になっているような場所で、果たして水が出るのだろうかと不安である。しかし、名古屋城には井戸があったし、その東側に当たる東区は戦災の被害を免れた地域で、古い家がまだ多く残っていて井戸がある。そう思うと、水が出ないと決め付けることもないようだ。

 人は1年毎に当然だが歳を取る。いつも一緒にいたから気が付かなかったけれど、久し振りの井戸掘りで会ってみると、膝の悪い人や腰の悪い人やらで、なぜか顔付きまで老けたような人もいる。私が一番年下で、ほとんどが70歳を超えているのだから当然かも知れない。病み上がりの私をかばって、「何もせんでもいいから」と言ってくれるけれど、見ているとやはり気の毒になる。あれだけ何度もやって来た作業なのに、その手順を忘れている人もいる。とにかく、玉砂利を取り除き、表面の土が出てきたところでまずツルハシとバールで掘り始めた。

 80センチくらいのところでコンクリートの蓋のようなものに当たる。10センチほどずらして再度掘ってみるがやはりまだ固いものに当たる。さらに1メートルほど場所を変えてみると、今度はスムーズに掘り進めることができた。水槽も満タンになった。塩ビ管を立てて、水圧で掘り進める。すぐに2・8メートル掘れた。1・8メートルの塩ビ管をつなぎ掘り進める。さらに1.8メートルつなぐ。まだ掘れるというので、さらに1・5メートルつなぐ。約8メートルまで掘ったところで、水脈らしきところに当たる。そこで塩ビ管を少し上げようとしたが、動かない。焦ってさらに引き上げようとした時、古い接着部分から抜けてしまった。

 いつだったかテレビで、アフリカの田舎で井戸掘りをしている日本人の活躍を放映していた。鋼鉄管を上から落として穴を空けていくやり方だったから、上総掘りという江戸時代に千葉県で考えられた方法のようだった。私たちのやり方では固い層に当たるとそれ以上進めないが、上総掘りは多少の固い層なら刃先を替えて突き進むことができる。テレビでは30メートルも掘っていたから、上総掘りは井戸掘りとしては優秀な方法のようだ。私たちも上総掘りを勉強しようと千葉まで出かけていったけれど、未だに習得できていない。どうしても今までやって来た自分のやり方がいいように思ってしまうのだろう。

 歳を取れば、それだけいろいろなことを知るわけだから、広い心の持ち主になってもいいはずなのに、なぜ他のやり方もある、他の考え方もあると柔軟に受け止められないのだろう。自分が知っている範囲では、自分が経験したことでは、限界があるとわかっても、なかなか素直に自分を変えることができない。それが年寄りの特質であるなら、まあ仕方がないかと思う。今日は8メートルまで掘ったという実績を示して終わった。明日はもう一度、初めからやり直すか、それとも今日、残してきた塩ビ管を使ってさらに掘り進めるか、思案のしどころだが、きっと明日、現場に立つとまた方針が変わってしまうかも知れない。素人集団の悲しさである。

コメント
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