友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

演劇『バターに塗れて追い廻す』を観ました

2012年03月09日 18時32分32秒 | Weblog

 姉の誕生日である。私とは14歳も離れている。お正月に我が家に集まった時に、部屋の胡蝶蘭を見て、「これはどうしたの?」と聞く。「花の茎にできた高根を育てたら、こんなに大きくなった」と説明すると、「これ、ちょうだい」と言う。「胡蝶蘭は1本もないの。誰もプレゼントしてくれない」とまで言うので、「じゃあ、誕生日に持って行ってあげる」と答えた。花芽は出てきて日毎に伸びたけれど、間に合わなかった。花屋で似たような胡蝶蘭を探して持って行ってきた。

 「ランは難しいね」と姉は言う。「きっと、水をやり過ぎるからだよ。冬は水コケがかなり乾いても水はやらなくていいからね」と言うと、「そんなものかね」と信用できない表情だ。花を可愛がり過ぎて、根を腐らせてしまうことが多い。冬場の水やりは鉢を部屋の中に入れていても、温度が下がって根を傷めることがある。「愛情過多は人にはよくても花には禁物だね」と言うと、また、「そんなもんかね」と答える。「ひとりは寂しいでしょう」と出そうになったが、言ったところでどうすることも出来ないのに、口にするのは酷だと黙った。

 昼からは、演劇『バターに塗れて追い廻す』を見た。大須に七つ寺スタジオというアングラ劇場があるが、それよりもさらに小さなところだった。大学祭で見せてもらった時に、連絡先を書いたので、案内状が送られてきたのだ。演劇の手法は大学祭の時と同じだったけれど、実によくできた作品だと思った。題名から想像していたのは、かなりきわどいアングラものなのかと思ったが、なかなか堂々とした作品であった。役者も学生とはいえ充分な練習を重ねていて、見応えがあった。

 凄くきれいでみんなが憧れる女性がいる。その女性のファンクラブまであり、彼女を追いかけるストーカー、そのストーカーを追いかけるストーカー、そしてまたそのストーカーを追いかけるストーカーがいる。この線が結ばれたなら、それは円になる。童話『チビクロサンボ』のように、グルグル回って溶けてバターになるというところから題名が付いたのかも知れない。この演劇では、好きになるということはどういうことかを一貫して問うていた。学生の原作をみんなで練り上げたものらしいが、素晴しい作品だと思った。

 好きだから、見ていたい、見返りなんか求めていない。好きになられる方はどうなのか。見ているなら自分の全てを知って欲しい。好きなら愛しているなら、自分に接して欲しい。運命の赤い糸があるのなら、それはどういう形なのか。好きと恋と、好きと愛と、恋と愛と、一緒なのか違うのか、恋することと愛することでは行動は違うのか、悩む。苦しむ。好きになることを受け入れるとはどういうことなのかともがく。学生演劇らしい純真な探求が、グングンと舞台に引き付けていくから、ストーリーの面白さや演出のうまさに秀でるものがあるのだろう。

 さらに、兄弟姉妹の葛藤、優秀なものとそうでないもの、キレイなものとそうでないもの、人の表面に現れたものによる差がもたらす幸福と不幸、様々に入り組む人間の世界が加わり、壮大なテーマを若者らしい切り口で取り上げていき、新鮮な感動を与えてくれた。さて、明日は誕生日会なので休みます。

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