友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

ベン・シャーンの絵本『ここが家だ』

2012年03月24日 19時35分04秒 | Weblog

 朝から降っていた雨は午後には止んだ。明るい日差しが降り注いできたけれど、風は冷たい。春はまだ遠いのだろうか。鉢植えのチューリップはすっかり芽を出したけれど、彼岸を過ぎてもまだ大きくなってこない。春になればと期待していたが、今年はどうやら遅いようだ。仲間たちと例年行っている「桜の宴」は4月14日に決まった。桜吹雪の中での酒盛りになるのだろうか。桜よりも仲間と宴会が出来ることが大好きな人たちではあるが、それでも桜が散ってしまった後では寂しい気がする。自然は思うようにならない。だからこそ、変化があって面白い。

 友だちが、第12回日本絵本賞に輝いたベン・シャーンの『ここが家だ』をプレゼントしてくれた。ベン・シャーンはアメリカの画家で、抽象やポップ・アートの多い中にあって東洋人のような線描きを得意とする画風の人だ。その線は石に鉄棒で引っかいたように力強い。華やかな絵よりもどこか寂しい気配がある。彼の父親は腕のよいユダヤ系リトアニア人の大工で、ロシア皇帝の独裁政治に反対して革命運動に加わり、逮捕されてシベリア流刑となった。幸い脱走に成功し、やがて一家はアメリカへ渡った。ベンは小学校・中学校をブルックリンで過ごしている。貧しい移民の子はいじめの対象にされたけれど、彼は歩道や路面に人気のスポーツ選手の絵を描くことで助けられたそうだ。

 ベンは中学を卒業するとマンハッタンのリトグラフ工房で石版工の見習いとなった。それは彼がイラストレーターとして名を成していく礎となったのだろう。彼の絵が力強い線なのにどこか寂しさが漂うのはこうした生い立ちと無関係ではないと思う。そんなベン・シャーンが描いた絵本はどんなものなのかと思った。『ここが家だ』は第5福竜丸事件を題材にしている。第5福竜丸と聞いても知らない人が多くなったかも知れない。この絵本が賞を取ったのは2007年のことだけれど、悲しいことに昨年の福島原発事故が絵本の価値を高めてくれた。原子力の脅威を私たちは再び知ることになったから。

 1954年、第5福竜丸はマグロを追って焼津港を出た。6千キロ南のマーシャル諸島の海でマグロの群れを発見、寝る間を惜しんでハエナワを伸ばす。3月1日、夜明け前、西の空が真っ赤になる。火の玉が雲よりも高くあがっていく。8分ほどすると、ドドドーンと爆発の音が響いた。しばらくすると、空から白いものが降ってきた。珊瑚か何かが燃えた後の灰だ。灰は何時間も降り注いだ。アメリカが原爆よりも1千倍も威力のある水爆の実験を行ったのだ。第5福竜丸はアメリカが指定した危険区域の外にいた。けれども灰は容赦なく降り注ぐ。第5福竜丸はまっすぐ焼津を目指した。無線を使えば、アメリカ軍に撃沈されるかも知れない。めまいが起き、下痢が続いた。顔が黒くなった。髪の毛が抜けた。灰には放射能がたっぷり入っていたのだ。

 「原水爆の被害者は私を最後にして欲しい」と言って、無線長の久保山さんが亡くなった。人々は「久保山さんを忘れない」と言った。「けれど、忘れるのをじっと待っている人たちもいる。人々は原水爆をなくそうと動き出した。けれど、新しい原水爆を造っていつか使おうと考える人たちがいる」。「忘れたころに、またドドドーン!みんなの家に放射能の雨が降る」。絵本はそう警告していたが、「安全」といわれた原子力発電所からたくさんの放射能が飛び出してきた。

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