交尾できなかったハエは、アルコール入りの餌を好んだという記事があった。交尾できたオスに比べて、満足した時に脳内で増す神経伝達物質が少なく、その欲求不満をアルコールで埋め合わせているというものだ。いかにも本当らしいけれど、そうなのかなあーと思ってしまった。動物は子孫を残すために生きているが、人間はそうでもない。自分で自分の命を絶つ人もいるように、自分の命は自分のためにある。もちろんもっと厳密に言えば、人は自分ひとりでは生きていけないから、誰かを愛して生きている。自分を必要とする人がいるので生きている。
朝日新聞の土曜日のbe版「職場の理不尽Q&A」に面白い記事があった。Qの方は、デキる先輩が幅を利かせていることの悩みである。デキる先輩はよく仕事をする。連日深夜まで会社にいるし、休日出勤もする。それだけならいいが、同じように頑張らない社員を批判する。批判ばかりか、「あいつはウチの部には要りません」とか、「あの働きぶりは、会社をなめている」と上司に言う。彼の作り出した社内世論のために、閑職に追いやられた人もいれば退職せざるを得なくなった人もいる。デキるけれど嫌な彼、どうしたらよいのでしょうとあった。
こういう会社員っている。決して悪い人ではないけれど、自分と同じように頑張らない人間は会社のクズだと本気で思っている。人にはいろいろな事情があることが、この人には見えないのだろう。良い点を見出せないような人が上司になると、部下はたまったものではない。度量が小さいのか、見る目がもともとないのか、困った人である。会社じゃなくても、サークルやグループでも、やたらと他人を批判したがる人もいる。こういう人はきっと自分を褒めて欲しい、自分を高く評価して欲しいのだろう。
こうした困った上司にどう接すればよいのかと、Aの方が気になった。すると、「人はなぜ悩むのでしょう」から始まり、「職場は理不尽の宝庫です。困った先輩や上司、面倒な同僚や部下がウヨウヨしているし、組織の論理に泣かされることもしばしば。しかし、悩んだおかげで問題が解決したという話は聞きません」と言う。「悩むという甘い誘惑に溺れるのではなく、具体的に自分に何ができるかを考えましょう。何もできそうにないなら、無力さをかみしめつつ腹をくくるのもひとつの選択」と結んでいる。
その後、いろんな手立てがあることを述べておいて、「仕事というのはロールプレーイングゲームみたいなもの。(略)強引に楽しんでしまうのが大人の意地であり、仕事なんかのために人生を丸ごと押しつぶされないための対抗策です。失敗したらまた別のやり方を考えればいいだけ」と結論を下している。仕事をゲームと思ったことはなかったけれど、私もそんな風に生きてきた気がする。友だちの息子に生真面目な人がいて、ウツ病になってしまったけれど、彼がこんな風に生きられるようになればいいのになと思った。
まあーそれでも、生真面目な人に生真面目になるなと言っても始まらない。その人はその人の人生を生きるしかない。いい時があれば悪い時もある。どうせ生きているなら楽しく生きていた方がいい。これは井戸掘り仲間の先輩の口癖であるが、的を射ていると思う。