平成26年から35年までの10年間、個人市民税の均等割りを年額500円引き上げる法律が12月の国会で成立し、そのため各自治体では3月議会において、これを条例化するための審議が行われている。東日本大震災の復興のために莫大な資金が要ると政府は言っていた。その資金は国債でまかなうと言っていたけれど、結局は国民に負担してもらうということだった。しかも一律に年間500円を10年間徴収する。何だか、民主党政権になって、自民党政権では出来にくかったことがどんどん押し切られていく。
野田佳彦首相は「消費税の引き上げは不退転の決意で臨む」と繰り返すけれど、いったいあなた方民主党は何をしようと思って国会議員になったのですか?と問いたい。政権交代はなぜ必要だったのですか?と聞きたい。自民党が社会党と一緒に内閣を組んで、社会党の党首の村山さんを首相とする内閣が成立した。村山内閣がやったことは消費税の引き上げと自衛隊を合憲としたことだった。それでどうなったのか、社会党は一気に凋落した。跡形もないほどに、というといやまだ社民党として残っているという人もいるが、社会党と社民党では雲泥の差だと思う。これも時の流れなのかも知れない。
社会党が大事にしてきた「馬鹿のような絶対平和主義である自衛隊は違憲」という柱がなくなったのだから、社会党の存在も当然なくなった。消費税の引き上げも、貧しい人の負担が大きいから反対だったのに、国民に広く負担してもらうことで安定的に税が確保できると増税に踏み切った。国の将来のためと村山さんらは本当に考えていたようだけど、いったい自民党政権とはどう違うと思っていたのだろう。社会の底辺で暮らす人々に光を当てた政治を目指していた社会党は政権の担い手になって変身した。あの時は自民党との連立だったから仕方がないという考えもある。しかし、民主党政権は選挙の公約そのものを反故にし、自民党政権ではやりにくかった消費税増税を推し進めようとしている。
税金はみんなのために使われるのだから、収めることに異議はないと誰もが思っている。ましてや今回のような大惨事に遭った人々を救うためには増税も仕方がないと支持している。税を納めるのは当然だとしても、本当にその金額が必要なのか、どこにどのように使われることがベストなのか、審議が尽くされているのだろうか。政治の成り立ちを考えてみると、生産力が高まってきたから生産に加わらない人をみんなで養うことが出来た。みんなでやればいいけれど、みんなの代わりに専門にまとめる人を置いた。もっと生産が上がってきて、武装集団も置けるようになった。
生産が上がらなければ、生産に加わらない人は養えなかったはずだ。しかし、生産に加わらない専門家が集団を成すと、生産を上げるように指示するようになり、そのうちに「足りない」と言い出して、雇い主であった人々は奴隷のように働くことになった。人々の代表が集まって政治が動いている社会になったけれど、政治を動かしている専門家たちは税金を納めている人々とは大きな乖離がある。これはどうしようもなく埋められないのだろうか。新聞各社は個人市民税が年額500円10年間引き上げられることになったと報じていたのだろうか。マスコミは何のために何をしようとしているのだろう。不思議なことと疑問に思うことが多い世の中だ。