友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

小学校の同級生からの電話

2012年03月30日 19時15分08秒 | Weblog

 昨夜、小学校の時の同級生から電話があった。28日のブログを読んでビックリしたこと、そして、ブログの中に「ペースメーカー会社のパンフを読んでいたら、ペースメーカーの寿命は5年から10年とあった。“一生大丈夫ですよ”と人は言うけれど、5年から10年くらいで死ぬということなのだろう」なんて書くのはダメだと言うのだ。「あのさ、あんたは自分では死なないと思っているから書いているんだろうけれど、読んだ方はショックだよ。あんまり驚かせないでくれよ」と言う。そして、「近いところに住んでいるんだからさ、時々はコミュニケーションを取り合おうよ」とも言ってくれた。

 彼とは小学校の5年と6年、一緒だった。学校のすぐ傍に家があり、遊びに行ったことがあるが、それは大きな、今で言えばカルチャーショックだった。私たちが遊びにいくと、彼のお母さんが迎えてくれたが、アメリカ人の家のようだった。食堂だったかに通してもらったけれど、テーブルと腰掛だった。お母さんはトースターでパンを焼いて、バターを塗って食べさせてくれた。飲み物は紅茶で、初めて飲んだ。家にはピアノがあり、確か蓄音機も置かれていた。2つくらい下の妹がいたが、とても可愛い子だった。着ている服も、根っからの地元の子どもとは違っていた。

 トヨタ系の会社が増えて、彼の家のような新しい家庭が多くなっていた。学校で上位にいるのは、そういう家庭の子どもだったように思う。彼は、中学から私学の進学校へ行ってしまったが、彼の学校では、成績順に席が並ぶので頑張らなくてはいけないという手紙をもらった記憶がある。しかし、いつしか手紙のやり取りも途絶えてしまった。それが、50代だったか、それまでは全く音信がなかったのに、小学校のクラス会の案内が来て、再び彼に会うことができた。トヨタ系の会社の役員をしているということで、桁違いに貫禄があった。相変わらず話し方はソフトでうまかった。彼が働きかけてくれて、2年おきにクラス会が開かれるようになり、私も彼の後を受けて先回は幹事を務めた。

 彼は「あんたのブログ、毎日読んでるぞ」と言う。彼自身は水彩画の教室に通っているというので、その作品をブログに掲載していた。小学校の時、絵はうまかったのかなと思ったが、水彩画の作品はなかなかのものだったのに、いつの間にか中断してしまった。体育は得意ではないようだったけれど、成績は抜群だったと思う秀才で何でもよく知っていた。「あんたのブログは丁度A4判1枚に入るんだな。毎日よく書けるね」とクラス会の時に話しかけられたから、いつも気にして読んでくれているとは思ったけれど、電話までくれるとは有り難い。

 彼には申し訳ないけれど、私たちは人生の終末を迎えている。そんなことはいちいち気にすることではなく、むしろ毎日を楽しく充実させることに全力を注入したい。彼は会社の役員まで務めながら、県の臨時職員に応募し、研究と研鑽に励んでいる。彼のブログで拝見すると、ガーデニングにも力を入れているようだ。私も負けないように、一日を大切にしたい。「あのさ、井戸掘りは止めておいた方がいいのではないか」と彼は心配してくれたのに、今日も出かけてしまった。結果は、まだ水は出ない。

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