気になっていた96歳の女性の家に行って来た。ひとりでは手に負えないし、カミさんは仕事で行けないというので、一番助けになる友だちと一緒に出掛けた。会ってみたら元気そうだったが、普通に歩けないようでしんどい様子だった。けれど、口はすこぶる達者で、2時に伺ったのに帰りは5時だった。
何がそんなに話すことがあるのかと思うほど、次から次へと豊富な話題で喋り捲る。しっかり聞いていれば脈絡が違うのではと思えるかも知れないが、そんな疑問を挟む余地など全くない。自分の祖父の話から父親と母親が出会った話など、延々と続く歴史にただ感心するばかりだ。よく覚えていると思うくらい昔話が続くかと思うと、現代に戻り、話題の人の一部始終になっていく。
大正13年生まれだが、話が堂々巡りの時もあるけれど、昔のことはよく覚えていて分析も明確だ。私が最初に出会ったのは地域新聞を始めた時で、お店のカミさんを紹介する『奥さん、こんにちは』の第1号に登場してもらった。1985年の創刊だから彼女は61歳だったが、余り変わった感じはしなかった。むしろ溌溂としてきれいになっている。
一緒に訪ねてくれた友だちがこの時、インタビューして記事を書いてくれたのだから、本当に長い付き合いだ。いつも彼女には助けてもらってばかりで申し訳ない。私と付き合ったことからすっかり地域に根づき、地域にとって必要な人になっている。彼女の性格や感覚、知識や判断が、行政には貴重なのだと思う。
コロナ禍でこの地域も緊急事態宣言に組み込まれた。これからどうなっていくのかさっぱり分からないけれど、新しい時代に突入しているのだろう。社会のシステムや価値観が大きく変わっていくだろう。エホバの証人の人も、金を寄付したいと電話してくる人も、「世の末」を口にする。確かにそうなることだろうが、だから何?と私は思ってしまう。