玄関ドアの隙間風が、ブォーブォーと音を立てている。風は強くて冷たいが、陽差しがあって暖かい。先輩から「白士会展」の案内をもらったので、カミさんと行って来た。カミさんの知り合いも会員というので、きっと興味があるだろうと思っていたが、結論から言えば誘ってよかったが、何かちぐはぐになってしまった。
先輩の友人の作品は群を抜いていた。『雉子』と題した作品は、金箔の上に顔料をブラシで吹き付け、なんとも言えない遠近感を出していた。私は技法がよく分からなくて、受付の男性に「どのようにして描いているのか」と訊ねた。後から分かったことは、私が質問した男性がカミさんの知り合いだった。
「こんにちは」だけでなく、「お久しぶりです」とか「ご無沙汰しています」とか挨拶すれば、ああ、知り合いなのだと分かったのに、紹介もしてくれなかったから、こちらも失礼してしまった。会場の外でまた出会った時も、お礼も言わずに、「未だにタバコを吸う、貴重な人ですね」と皮肉まで言ってしまった。
印象派が生まれるまでは、絵描きは史実を残す役目だったが、写真機が生まれると新しい絵画が求められた。誰も描いたことの無い絵や、シュールのように社会や心理を表現しようとした。そして今や、プロもアマも無く、みんなが楽しみで絵を描くようになった。絵画ばかりでなく、詩や小説や演劇も全ての枠が無くなった。
「エホバの証人」の女性が、「審判の日は近い。2年以内に下される」と言う。なるほど、全ての人が芸術を愛し、完全では無いが生きられる、まさしく地球の終わりが近づいているのだ。嬉しいな、早く来い、地球の終わりの日よ。