うだるような暑さが今日も続いている。午前中、ルーフバルコニーに出て、残っている植木鉢を処分するために作業していたが、余りの暑さですぐに引き上げた。こんな暑さ炎天下でも作業をしている人がいるのに、本当に根性が無い。
どこかの学童保育が子どもたちをプールに連れて行き、遊ばせていたら小1の男の子が溺れて亡くなった。気を利かせて子どもたちに水遊びをさせたのに、裏目に出てしまったようだが、水遊びをさせるための事前の準備が出来ていなかったと思う。
泳げる子と泳げない子の事前の把握もしていなかったし、水遊びの手順もきめていなかったようだ。「こんなに暑い日だから、水遊びでもさせてやろう」はいいが、しかし子どもは、何をするか予期しないことをする。
そもそも学童保育は、プールに連れて行く必要は無いはずだ。学校で水泳の授業があるが、たった1ケ月ほどの授業のために、ほとんどの学校がプールを建設している。今では維持管理が出来なくて、民間のプールで水泳の授業を行っているところが少なくない。
泳げることは大事なことだから、水泳を学ぶことを否定する気持ちは無い。私たちの子どもの頃は、プールなど無かったので、川か海で泳ぐしかなかった。姉のダンナの家は海に近かったので、「水泳を教えてやる」と海に連れて行かされた。
防波堤から海に突き落とされ、「人間、必死になれば泳げる」と叱咤された。何とか岸にたどり着けたが、あんな怖いことは御免だと思った。それでも夏になれば、川や海に出かけていたから、泳ぐというより水遊びだったのだろう。
中学生の時、名古屋の金山のプールに友だち4・5人で来たことがある。なかなかマセた友だちで、「女の水着姿が見られるぞ」と誘われたが、そんな魅力的な女性の姿は無かった。その友だちは、雑誌『平凡』や『夫婦生活』を手に入れてきて、みんなで回し読みした。