フォークソングの高石ともやさんが亡くなった。学生運動で荒れた後、自分の気持ちを言葉したフォークソングが流行した。そんな世代も老齢になったのか、そう思っていたらフランスの俳優、アラン・ドロンが88歳で亡くなったと大きく今朝の新聞に出ていた。
私がアラン・ドロンの映画を観たの高校生の時で、刈谷の小さな洋画館だった。洋画と言えばアメリカの西部劇が主流(?)だったのに、『太陽がいっぱい』は全く違うリアルさが衝撃的だった。暑い真夏の太陽を見上げ、「太陽がいっぱい」のセリフはドロンそのものを表わしていた。
貧しい青年が裕福な青年を殺し、身代わりになって何もかも手に入れる、そんなストリーだった。格好いい美男子の青年が、実は途方もなく悪い奴で、金と女を手に入れ、新しい人生を夢見て満足気にほほ笑む。美青年は善良な人というイメージをぶっ壊した映画だった。映画はさらに、北欧を中心に超リアルな映画作りへと進んで行った。
今、自民党の総裁候補がマスコで話題になっている。真っ先に名乗りを上げた小林鷹之氏が、テレビや新聞で取り上げられている。総裁候補は10人に及ぶと報道され、いかにも自民党は大きく変わろうとしている印象を与えている。立憲民主党は40代の泉氏を党首に選び、脱皮しようとしたが何か変わっただろうか。
古いものは廃れていく。これは歴史の真実だが、必ず古いものが一掃される訳ではない。新しいものの仮面の下に、古い残滓が隠れている。そうやって、少しずつ新しいものに変わっていく。一気に変わる時は、巨大なエネルギーが必要で、多くの犠牲を伴う。
党首の顔を変えただけで、党そのものが変わったように国民は思ってしまう。党が変わるためには、党内での激しく厳しい論戦が必要だ。論戦も無く、党首が変わるから国民はすぐに騙される。
騙される国民が悪いのか、騙した党が悪いのか、あれ、これは演歌だよね。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます