友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

次の世代が、何かを変えていくのだろう

2024年10月19日 17時26分08秒 | Weblog

 待ちに待った小学校の運動会、朝早くから父母らが運動場を取り囲んでいた。曇り空の下でも子どもたちは元気で、力いっぱいの競技と演技が大声援の中で行われていた。しかし、無情にも正午近くなって、雨が降り出してきた。

 カミさんは朝から、ドジャーズと続いてヤンキースをテレビ観戦している。熱心だなと思ったら、テーブルに新聞を拡げ、片手間に数独もやっている。そんなによく夢中になれるなと思ったが、正午からの2時間、私は相変わらず「吉本新喜劇」を観ている。

 ヒマな高齢者は同じことをやっているようだ。ニュースで、自民党本部に火炎瓶が投げ込まれ、その犯人が続いて首相官邸に車で突っ込もうとして、警備の警察に捕らえられたと報じていた。49歳になる男で、動機を調べているという。

 自民党が憎くての行為だとしても、あまりにもアホだ。死んだ人はいなかったようだが、巻き添えを喰らって死亡者が出れば殺人罪である。火炎瓶を投げ込んだところで、首相官邸に突っ込んだところで、何も変わらないのに。

 むしろ、自民党に対する国民の同情を呼ぶことになるだろう。60年安保の時も、70年安保の時も、騒然とした空気になったが、決して何も変わらなかった。それでも闘争に関心を持った世代は、社会に出て無意識の内に何かを変えていった。

 私がこのマンションを住処としたのは30代の前半だった。マンションの先輩たちから、熱い思いを何度も聞かされた。先輩たちはマンションを、フランス革命の時のコミューンのようなユートピアにしようと夢見ていたのだ。

 徹底した自主と自治を住民に求めた。管理会社を置かずに、管理人も住民から選び、大規模工事の時は特別委員会を設けて対応して来た。年1回の総会、毎月の組長会議は必ず行われ、執行部と住民の意思疎通を図ってきた。

 しかし、マンション自治会が出来て50年も経つと、少しずつ綻びが出てきた。役員ばかりか組長にさえ、なりたくない人が生まれてきた。それでも続けていくしか無いだろう。次の世代が、何かを変えていくのだろう。

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