運動会の季節、小学校へ登校する坂道の、最後の曲がり角辺りに来ると、甘い匂いが漂ってきた。小学校の隣りにあった図書館の隅にあった、キンモクセイの匂いだ。花は小さいけれど匂いはきつい、けれどとってもよい匂いだ。
我が家の庭にも植えられていて、キンモクセイの匂いがしてくると秋になったと感じた。この花木が忘れられず、庭の無いマンション生活になったのに、ルーフバルコニーがあったので、私はここでキンモクセイを育てていた。
花木と言えば、バラも好きで、植木鉢がどんどん増えてしまった。これも小学校の登校途中にあった、医院の庭のバラ園に魅せられたからだ。我が家は柿やミカン、ブドウやイチジクなどはあったが、草花を育てることはなかった。
庭に花をいっぱい咲かせる、それが夢だった。高校生の時の将来の夢は、新聞記者、映画監督、そして庭園をデザインする庭園師だった。庭園デザインが学べるのは千葉大学だったが、数学が必須と知って諦めた。
その頃、日本の庭の枯山水は、なぜか貧乏くさく思っていた。ベルサイユ宮殿の庭園のように、いつも変わらない美の様式に憧れていた。大人になって、実際に日本の庭を見るようになって、四季の移り変わりを表現することの素晴らしさを知った。
西洋人は変わらない絶対的なものを求めるが、東洋人は変化を諸行無常と受け入れてきた。歳を重ねたせいなのか、絶対なんて無い、そんな気がして来た。現在は過去の積み重ねであり、過去はやり直すことは出来ないが、明日はまだ何も決まっていない。
石原裕次郎が歌っていた『明日は明日の風が吹く』は、何かやけっぱちな気分が漂っていたからか、同年代が歌う時はやり切れない淋しさに満ちていた。意地と度胸が男の人生の決め手などと、本当に信じて努力したのだろう。
キンモクセイが終われば、次に目にするのはツバキだった。小学校の裏庭にもツバキが植えられていて、寒い冬に咲く花なのに華やかだった。冬の花、ツバキを植木鉢で育てたこともあった。