友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

準決勝戦が待ち遠しい

2024年08月19日 17時46分09秒 | Weblog

 高校野球の甲子園大会は、準々決勝が一番面白いと言うが、朝から観ているとハラハラドキドキの連続で疲れる。スポーツは勝ち負けを決めるものだから、勝者と敗者に別れるのは仕方がないことだが、出来れば双方とも勝たせてあげたくなる。

 あんなに堅い守りのチームにミスが連続したり、強打を誇ってきたチームが全く打てなかったり、そうかと思えば、ヒットは毎回出ているのに点が入らなかったり、えっ、どうしてと目が離せない。筋書き通りにいかないのが、準々決勝の特徴なのだろうか。

 好投手と思われていたのに、なかなかストライクが入らない。好打者と評価が高かったのに、なかなかヒットが出ない。そうさ、そんなに毎回毎回、上手くいくはずはない。良い時もあれば、悪い時もある。それが人生だ、などと偉そうことを呟きながら観ている。

 自分の人生なら、きっと必死になってしまうだろうが、たかが高校野球では無いかと居直っている。みんな、スポーツ観戦が好きなのは、他人事だからだろう。「いけいけ、やれやれ」と応援するのも、「あーあ」とため息がでてしまうのも、他人事ながら勝敗の行方が気になるからだ。

 私の娘たちは、高校野球に夢中だった。池田高校やPL学園が活躍していた頃だと思う。今になって、あの子たちが夢中になって観ていた気持ちがよく分かる。私はスポーツをやることも観ることも、余り好きでは無かった。

 それでも高校の時は、サッカーの名門校と言われていたから、サッカーの時間は頑張って走り回った。でも、ぶつかってメガネを壊してしまい、父に申し訳ない気がした。メガネを外してプレイをすると、どこに球があるのか分からなかった。

 そしていつの間にか、スポーツは観るものになっていた。なのに、勝敗がつくと、もう観るのは止めようと思ったりする。優柔不断で頭デッカチ、だからスポーツ大好きな娘たちから、「理屈ばっかり」と嫌われてしまう。

 なのに、準決勝戦が待ち遠しいと思う自分に呆れてしまう。


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