永遠なものは何だろう。宇宙は永遠なのだろうか。天文学者は星の消滅とか誕生とかを発見したと言っていたから、宇宙は永遠なものではないのかも知れない。星を造っているものは、分散したり結合したりしても、永遠に存在するのだろうか。それにしても、宇宙はどうやって出来たのだろう。そんなことを考えると、やっぱり神様が全ての始まりであり終わりと考えるのが一番理屈に合うような気がする。しかし、じゃあ、神様はどうやって生まれたのだろうと、堂々巡りに陥ってしまう。
人はどうして永遠なものを手に入れたいのだろう。自分が永遠ではない存在だと知っているからなのだろうか。永遠に変わらないものといえば、「永久の愛を誓う」のように、不変であってほしいという願望もある。もちろん誓った時は永遠を目指したはずだ。綾小路きみまろさんではないけれど、あれからウン十年も経つと永遠に変わらないものは存在しないと思うようになる。永遠はむしろ、心の持ち方にあるとも言える。だから人は、人を愛することが出来るのだろう。
愛知県東部の山中にいた野生の猿が、どうして捕らえられ、東山動物園で飼育されることになったのか、詳しいことは知らないが、その野生の猿が今度も動物園から脱走した。過去にも何度か脱走した経験のある猿のようだ。名前が「ムコドノ」というのも面白い。カミさんと義母に頭を押さえつけられていた「必殺仕掛け人」からの連想で生まれた名前だろうか。何しろこの野生の猿は中学生くらいの時に捕獲され、東山動物園のサル山に入れられた。そこは中年のメス猿が大勢いるハーレムで、動物園としては活きのよい野性のオス猿が欲しかったのだろう。「ムコドノ」は子どもを儲けたけれど、居心地はよくなかったのか、何度か逃げ出した。
「山に帰りたかったのか、動物園に帰りたかったのか、本人の意思を尊重したい」と河村市長は言う。本当にどっちなのかと男たちは考える。女性がいっぱいいるハーレムなら天国ではないかと思う人もいるけれど、にもかかわらず逃げ出してしまったのだから、ハーレムは以外に天国とは異なるのかも知れない。兵庫県尼崎市の事件は、人の関係がよく分からない。64歳のオツボネというよりも女王が家族や親族に君臨する異様な関係だ。なぜ、そこから脱出する人が出てこなかったのかも不思議だ。
いじめとか宗教とか、集団になるとそこに考えられない力関係が生まれてしまう。よほどの強い意志がなければズルズルと地獄の沼に引きずり込まれてしまう。弱い人は自分が助かりたいために、ボスの犬になって働くようになる。64歳の女性に逆らえない状況が一度生まれると、それはますます強固なものになっていく。誰もが恐怖におびえながら、凶行に手を貸し、地獄の淵を広げ深くしていく。人の中にある陰湿なものが拡大する構図だ。普通の神経の持ち主でも、戦場に送られると非情な行動も平気になるという。いや、殺人という非情な行為を平気で行なうことが出来るように訓練するのだ。
永遠に解けない人の心理なのだろうか。出来ることなら永遠に平和が続きますように。出来ることなら永遠に愛が続きますように。
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