大阪市の橋下市長が、「週刊朝日」が掲載した記事のことで、激しく怒っていた。私は記事を読んでいないが、テレビニュースなどで報じられた限りでは、橋下市長が怒るのも無理はないと思った。自分の考えや行動で批判されるのであれば、政治家なのだから仕方ないことで、受けて立って反論すればいい。反論もせずに入院して批判をかわそうとするのは卑怯者のやることだ。けれども、週刊誌ではDNAやら祖父のことやらを取り上げ、地区を差別するような記述があるという。生い立ちや環境からその人を分析する評論はあるけれど、問題点は橋下市長が何をしようとしているかであり、それがどのような展開となるかであろう。
ただ、気になったのは橋下市長が記者会見で、朝日新聞社をこき下ろしていたことだ。朝日新聞社の記者がツイッターで橋下市長を批判したこともあって、朝日新聞を「敵」にしていた。「週刊朝日」と朝日新聞は子会社と親会社ではあるけれど、編集権は別であり、今回の記事の責任は「週刊朝日」の編集部にある。弁護士でもある橋下市長がそれを知らないわけはないから、「週刊朝日」イコール「朝日新聞」はマスコミという権力者で、弱い者いじめをしている。橋下市長は一歩も引かずにマスコミ権力と戦っていると世間に見せているのだ。橋下さんがうまいのは、一般の国民の「マスコミは人をいたぶって悦にいっている」という気持ちを汲み上げているからだ。
「週刊朝日」は直ちに連載を打ち切り、次号の最初のページを使って謝罪文を載せた。ところがその「週刊朝日」が、市役所に「放りこまれた。人としての礼儀を知らぬ、犬畜生にも劣る」と橋下さんは激高していた。確かに謝罪を掲載した週刊誌を「放りこむ」のは失礼だろう。ところが今朝のフジテレビの「特ダネ」では、橋下市長が「妹が持ってきたもので、事実誤認だった」と謝っていた。つまり「朝日新聞は庶民の敵」とレッテルを貼った、それに税金の無駄使いと戦う、冷たい役所の人間を叩く、橋下市長の戦う姿勢は充分にアピールできたわけだ。
橋下市長はいつも公開の場で堂々と意見を戦わせればいいと発言する。そして自分は「公務員なら国家に忠誠を尽くすのが当たり前でしょう」と言い切る。「日の丸、君が代に敬意を示してこそ公務員だ」と断言する。なぜなのか、そのことには一切触れない。橋下さんが「当たり前でしょう」と思っていることは説明する必要がないし、反論は許さない。公務員が反論すれば、労働運動だと弾劾する。学者が反論すれば、政治の現場を知らない学者馬鹿とこき下ろす。気に入らないことを書くマスコミは出入り禁止だと言う。
私は小さな町で小さな新聞を発行してきた。役所の担当の気に入らない記事を書いたために、取材拒否に遭ったことがある。別にそのことで困ることはなかったけれど、その部署の職員が「謝って欲しい」と頼みに来た。権力というものはこういうものだと、頭ではなく身を持って理解できた。報道する側は慎重でなくてはならない。何を伝えることが国民の益になるのか、充分な吟味が必要であるし、何よりも驕ることがあってはならない。
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