朝からルーフバルコニーに出て、ひたすら作業を続けた。沖縄の花、ディゴを植木鉢から引き出し、根に着いた土を払い落とす。鹿児島に行った時、城の前の広場で売られていたディゴに魅せられて、我が家まで運んできて何年経つのだろう。
植木鉢は何度も大きい鉢に変え、育てて来た。取り出してみると、鉢の中は根ばかりになっていた。ディゴは大きくなるために、古い根を腐らせて土に混ぜ、細い根を鉢の隅々に伸ばしていたのだ。こんなにも努力していたんだと思い、胸が熱くなった。
植物は花を咲かせるために、必死に努力している。もう根が伸びる余地は無いのに、それでも来年も、花を咲かせようとしている。私が買って来て、鉢植えで育てたために、このディゴは悲しい生涯になってしまった。ごめんなさいと、残った根を燃えるゴミ袋に押し込んだ。
たまたまパレスチナで生まれたばかりに、自分たちを皆殺しにするイスラエルを憎むことになった人々がいる。大きくなったら、両親や親族を殺したイスラエルに必ず復習してやる、その思いだけで生きている。逆に、イスラエルにもまた、同じ思いで生きて来た人々がいる。
どこで生まれ育つかは、本人の意思では決まらない。たまたま、パレスチナで、あるいはイスラエルで、生まれたばっかりに、人を殺すことを目的に生きる。私たちはそんな人々を、なんという残虐な人生だと見てしまうが、世界にはそんな悲しい運命を背負っている人々がたくさんいる。
自分の花を咲かせるために、自らの根さえも腐らせて生きている、ディゴの方が人間よりも気高く見える。今日はカミさんから、「手伝おうか」の声が無く、もうクタクタと弱音を吐きながら、土嚢袋を7袋、下に降ろした。
元気だったディゴ
ディゴの根
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