「来る者は拒まず、去る者は追わず」というけれど、そんなに簡単に実行できるものではない。人にはそれぞれに生き方があり、育ってきた環境の違いがあり、抱いている価値観も違う。自分以外の人の領域に入ることは出来ないし、入り込まない方がよいのかも知れない。他の人から相談を受ければ、もちろん相談に付き合い自分の考えを伝える。けれど、本当にそれでよかったのかと思う時がある。
誠実であることを大事にしてきた。しかし、人は人を完全に理解することは出来ない。自分自身、自分を完全に理解しているとは思えない。完全に理解するということが、どういうことなのか私には分からないが、自分自身について分からないのに、自分以外の人についてはもっと分からないのが当然のような気がする。人は人を完全に理解することは不可能である。もし、それが真実ならどういうことになるのだろう。
人は孤独な存在と言える。だからこそ、人は人を求めるとも言える。理解不可能であるあるにもかかわらず、求め続けなくては生きていられないのが人なのだ。人は人を完全に理解できないのであれば、人が自由で平等で博愛に満ちた理想の社会など実現することも不可能だ。けれど、人が人を求めるように、実現できない理想を求め続けることは出来る。人が人を完全に理解できるなら、今日のような社会も文化も文芸も生まれなかっただろう。
人の出来ることは何か。人は“自分らしく”という曖昧なものにすがって、自分らしく生きる以外にないと思う。正月のある日、こんなことを繰り返し考え、人は人を完全に理解できないことこそが真理なのだと辿り着いた。70歳を前に、悟りに到達できたのではと合点してみたものの、そんな当たり前のことを悟ってみたところで何なのかという疑問が湧いてきた。すると、「ヒマ過ぎるのではないの」という声が聞こえた。
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