友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

彼女もちょっと微笑んだ気がした

2017年11月09日 17時24分50秒 | Weblog

 自分でもおせっかいな性分だと思う。会議中に気分が悪くなった友だちがいて、病院に連れて行ったが、かかりつけの医院では「もっと大きな病院で精密検査をしてもらった方がいい」と言われたというので、この地域の総合病院に連れて行き、診断が終わるまで付き合った。一人暮らしであるし、車を持っていないから、私が最後まで面倒を見るのが当然と思った。

 明日は、高校に新卒で赴任した時の仲間が集う。昭和42年のことで、7人の新任だった。教師の世界は新任も古参も平等だと思っていたので、職員会議で平気で発言していた。古参の先生からすればとんでもない新任だったのかも知れない。教科によっては何人かの助手がいた。「組合には入れない」と言うので、青年会を作って親睦の機会を設けたりした。

 私たちは仲がよかったし結束も強かった。昨年の集いの時、2人のカミさんも呼ぼうということになった。1人は参加を承諾してくれたが、もう1人はダメだと言う。しかもダンナの方も参加できないとハガキが届いた。カミさんが「老年期精神病」とある。家に閉じ籠っているより、昔話などして笑った方が気分転換になるから出席したらどうかと手紙を出したが返事が来ない。これは私が家に押し掛ける以外にないと出かけた。

 友だちもカミさんもビックリしていたが、家には入れてくれた。彼は少し痩せていた。彼女の方はかなり痩せていて表情に覇気がなかった。声も小さく、瞳もうつろだった。それでも昔話をしているうちに、声が少し出るようになった。彼女の方から私に、「ふたりだけで、会話はあるの?」と聞いてきた。「ないねー。いつも怒られてばっかり」と答える。「前は言い返していたけど、言い返せば互いに気分が悪くなるばっかりだから、今はすみませんと謝ってばかり」と話す。

 「これは、ノーベル文学賞を受賞したイシグロ・カズオの作品を読んだせいかも知れない」と続けた。「明日は出られなくても、次の機会もあるから」と言って、「また来年も、ボクが企画しなくてはならないのか」と笑った。彼も「うーん、見当たらんもんな」と言って笑う。彼女もちょっと微笑んだ気がした。


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