友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

自己満足ではあるけれど

2017年08月06日 17時24分35秒 | Weblog

 朝、ルーフバルコニーで毎日1時間ほど作業をする。咲き終えたサルビアの花を切り取り、枯れた葉を取り除き、ホウキではいて掃除する。バラの鉢も見て回り、同じように咲き終えた花を切り取り、枯れた葉を取り除き、周りを掃除する。アジサイも同様に見て回り、それが終わると最後に水やりをする。この時期は出来るだけたっぷり水をやるが、それでも夕方にもう一度水をやるようにしている。

 朝のうちは日陰なので作業はしやすいが、それでも1時間も身体を動かしていると汗が噴き出してくる。今朝、ふと思った。以前はルーフバルコニーでビアパーティーをしていたからサルビアをきれいに咲かせる必要があった。真っ赤な花と青い葉は夜の光の中では清々しく見えると私は思っている。ちょっと涼しい風があれば、夜景を楽しみながらビールもおしゃべりも進む。

 しかし、もう何年もビアパーティは開いていない。早朝に私が眺めるだけのサルビアになっている。来た人に喜んでもらうためのサルビアも、私が眺めるためのサルビアも、どちらも私の自己満足に過ぎない。何をやっても結局は自己満足なのだろうけれど、何か寂しさを感じた。こんなに汗を流してやることではないような気さえした。どうも最近、後ろ向きになっている。

 今年も広島の平和記念式典をテレビで見た。広島市長の平和宣言と子どもたちの平和の誓いに比べ、安倍首相のあいさつは空虚に思われてならない。内閣改造後の新たな決意も「深く反省し、真摯に受け止め、丁寧に分かりやすく、経済を立て直し、雇用と賃金の上昇を確保し、必ず結果を出し、国民の皆さんの信頼を取り戻すために、一丸となって全力で取り組む」と言葉が並んでいたが、なぜ、どのように、が欠けている。聞こえの良い言葉を並べれば、国民は納得すると思っている。

 「核」の抑止力は幻想でしかない。むしろ、狂気の政治家がボタンを押すかも知れない。「核」は「悪」、ならば本気で無くさなければ人類の滅亡を招きかねない。子どもたちのために、孫たちのために。そう願うのは私の自己満足だが、どうか、普遍化して欲しい。

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