友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

明日のシナリオは無い

2025年02月15日 17時47分45秒 | Weblog

 まるで春のように暖かな日だった。このまま春になるのかと思ったら、来週はまた寒くなると予報されている。子どもたちが運動場で野球の練習をしている。一方で、駆けっこに興じている子や、地面に何か描いている子もいる。

 何かを表したいのは、人間の本能なのかも知れない。紙があれば、幼い子もすぐに絵を描き始める。歌を聞けば真似して歌う。表現することは、自分を理解して欲しという本能なのではないだろうか。

 私は小1の時に描いた絵が賞をとり、担任が「この子は第2のピカソになる」と褒めたので、大学の先生の画塾に通うことになった。画塾では絵を描くよりも、ストーブで芋を焼いたり、近所の公園に出かけることが多かった。

 高校に上がり、理想と思っていた学びとの差に愕然とした。毎日新聞に「進学校は大学の予備校なのか」といった内容の「声」を書いた。新聞部に在籍し、校則の問題点を記事にしたがボツになった。それで、有志で金を出し合い新聞を作り、校門の外で配布した。

 文芸部の友だちに誘われて作品も書いたが、顧問から「独りよがり」と酷評だった。大学も新聞部に入った。卒業する時、友だちに誘われて、面接と論文審査だけの毎日新聞社を受けた。卒業制作はシュールレアリスムに感化された作品を描いた。

 文字ではあるものをあるがままに捉える新聞記事に惹かれ、絵画では心の情景を表すことに魅せられていた。ヌーベルバーグ映画を観て、映画監督になりたいと思った。日常を淡々と記録しているのに、そこに何か共感を呼ぶ映画を作りたいと。

 80歳の今、人生を振り返ると、私が主人公の人生はこんなものかと思う。誰も代わりの役が無い主人公なのに、映画のような感動は湧いて来ない。いやいや、人は皆、自分の人生をやり切っている、表現者だ。

 明日がどうなるのか、シナリオは無い。役者は自分勝手に演じればいい。けれど、ひとりで生きている訳では無いから、共演者のことも考えなくてはいい役者にはなれない。そう合点する。 


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