友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

バラバラだけどどこかで理解し合っている

2011年07月25日 18時35分10秒 | Weblog
 雷が鳴り、時々どっと雨が降ったり、今日は荒れ模様だが、涼しくて気持ちがいい。気がかりなのは植木鉢にしがみついているアゲハチョウのサナギだ。サナギの姿を見つけて、5日目だがどうやって羽化する時を決めているのだろう。雨に打たれながらじっとしているが、生きているのだろうか。水はけの悪い植木鉢が2つあったので、雨が止んだ時に鉢をずらして水を抜いた。すると鉢の下にたくさんのミミズがいた。鉢をどかされて右往左往としている。これはいかんと箒でちりとりに掬い上げて鉢に移す。今日は気温が低いからいいけれど、晴天が続けばルーフバルコニーは灼熱の地獄になってしまう。

 人間は神から与えられた楽園を追われることをしてしまったけれど、鉢の中から出てきてしまったミミズはどんな罪を背負っているのだろうか。私が鉢の土の入れ替えの時に入れたミミズは、およそ5センチから8センチくらいのものが多かったけれど、鉢の下にいたミミズの中には1センチか2センチの小さなものが何匹かいたから、卵から孵化したものかも知れない。成長したミミズはどのくらいの大きさになるのか知らないが、先日、鉢の中で動いていたミミズは人の親指ほどで、まるで小さなヘビかと思った。

 自然界の動きも不可解なことがあるけれど、一番分っているはずの人間界の動きはもっと不可解な気がする。「なでしこジャパン」がワールドカップで優勝したのは素晴らしかったけれど、昨日の女子サッカーのリーグ戦では、これまで5百人程度の入場者だったのが1万8千人もあったそうだ。それはそれでいいと思う。野球が好きな人もいれば、サッカーの好きな人や相撲が好きな人がいるし、スポーツに全く関心のない人もいる。それもそれでいいと思う。それぞれは好みが違うが、だからと言って秩序を乱しているわけではない。

 夏休みに入るとPTAの腕章をつけたお母さんたちが「悪書を追放しよう」とパトロールすることがある。ご苦労様だけれど、悪書って何なのかと思う。お母さんが悪書と思えば自分の子どもに「これはダメよ」と言えばいい。「どうして?」と子どもに聞かれたなら、その理由も教えたらいい。それは各家庭の価値観であって、一律に押し付けるようなものではないような気がする。それに、なぜダメだというものが巷に溢れているのか。みんなで規制してしまえば「怖くない」とする考え方は好きになれない。

 「被災地や原発のことを考えたら、お酒を飲んでいる場合ではない」。「無駄な電気は使わない」。こんな発言をよく聞く。カミさんはせっせと家中の電灯を消して歩く。暗い部屋よりも明るい部屋が好きな私は以前はムッとしたけれど、今では「節電は国民の義務」とさえなっているから黙っている。でもさあ、生活スタイルについてまで他人からとやかく指図されるっていうのはヘンじゃーないの。子どもの出生率が低いから、「もっと子どもを産まないとますます高齢化社会になる」と言うのもおかしなことだ。「人のセックスに口を出すな」となぜ誰も言わないのだろう。

 みんなが同じ考え、同じ感覚っていう社会は怖い気がする。バラバラだけど、どこかで理解し合っている。それが人間の社会だと思う。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 10万人の凡人が生きられる... | トップ | 使命に生きた人の最期 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事