「そろそろキュウリを採らないと、大きくなりすぎてしまうよ」。友だちが電話で伝えてきた。アメリカに夫婦で旅立った友だちの1坪農園の畑には、キュウリやナスやトウモロコシ、トマトが実をつけている。時々、収穫するようにと言われていたけれど、雨降りが続いたり、天気のよい日は忙しかったりで、畑へ行く暇がなかった。それでも次女がいた時に一度、ふたりで畑に行ったがそれっきりになっていた。夕方、雨が一時止んだ時に、野菜を収穫してきた。採り立ての野菜は甘みがあって美味しい。何もせずに頂いて、申し訳ないような気がする。
電話をしてくれた友だちも同じように野菜を育てているので、彼は時々、アメリカへ行っている友だちの畑も見回り、雑草などを抜いてくれるが、野菜はこれ以上いらないからと私に収穫の時期を教えてくれる。バルコニーで野菜を育てている人もいるけれど、なぜか私はその気にならない。バルコニーは花たちでいっぱいの方がいいのだ。ある意味では贅沢なことかも知れない。生きることに必死であれば、なりふり構わず野菜を育てるだろう。1坪農園で野菜作りをしている人たちも、生活のためというよりも育てることを楽しんでいるし、新鮮な野菜を食べられることに満足しているように思う。
私がルーフバルコニーで植木鉢を並べて花を育てているのは、子どもの頃に見たヨーロッパ映画の影響だろう。どんな映画だったのかは分からないけれど、屋根の上のバルコニーには鉢植えの花木があり、それがとても空によく合っていた。時にはバルコニーに長イスを出してきて寝そべったり、恋人同士がコーヒーを飲んだりしていた。私もいつか、そんな空中庭園を造ろうと思った。部下だった子の家に行った時、群生のチューリップを見て魅せられた。また、スペインのアルハンブラ宮殿で壁を登るアサガオを見て、あるいは中国の重慶の公園で真っ赤なサルビアを見て、いっそう庭造りに駆られた。
人の一生はまず出逢いだろう。どこで誰に出会うかで人生は決まってくるし、またどこで何に出会うかでやりたいことに影響が出る。あの人に出会わなければ今日の自分はなかっただろうという出逢いを人は何度も経験しているはずだ。逆にどんなに素敵な出逢いがあっても、それが受け止められなければ出逢いにはならない。大和塾の講演会で金美齢さんが「チャンスはあなたの目の前にある」と言っていたことを思い出す。掴み取るために自分を磨いておかなければ見えないというわけである。不遇だとか不幸だとか言うまえに、掴み取ろうとする積極性がなければ捕まえられない。
人は誰でもいろんな才能を持っているが、本人が気付かないことの方が多い。この能力を伸ばすことが教育である。時期を逃してはならないが、いつでも時期はあるのだから、挑戦する気持ちを失わないことが一番大事なのかも知れない。
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