友々素敵

人はなぜ生きるのか。それは生きているから。生きていることは素敵なことなのです。

答えの出せない人間の課題なのか

2022年01月24日 17時08分55秒 | Weblog

 どちらが日本人らしいのだろう。今朝の新聞を見て思った。沖縄の名護市長選挙と岐阜の美濃加茂市長選挙は、対照的に感じがしたが意外に同質なのだろうか。名護市長選挙は自民・公明が推す現職が、知事が支援し立憲、共産、れいわ、社民、社大が推薦した新人を5千票の差をつけて当選した。

 美濃加茂市長選は、受託収賄などの罪を問われた無所属の前市長が、自分の後を引き継いだ現職で自民・公明が推薦した候補に倍近い票差をつけて勝利した。投票率は美濃加茂市が58,8%で前回よりも20ポイント上回り、名護市が68,3%で前回よりも9ポイント下回った。美濃加茂市の勝利した候補は37歳、名護市で破れた候補は49歳。

 名護市は米軍基地の辺野古移設が最大の争点のはずだが、当選した現職は「移設の賛否を明らかにせず、国の米軍再編交付金を活用して、学校給食費や子ども医療費の無償化を実現」(中日新聞)したことが有権者から支持されたようだ。県民投票で基地反対が示されたのに、何も変わらない現実に嫌気がさして目の前の利益を選んだのか。

 美濃加茂市の有権者は、「若い彼なら、停滞した市を変えてくれる」(朝日新聞)と期待したようだ。沖縄の米軍基地の問題は、決して沖縄県民だけの問題では無いはずなのに、私たち日本人は既成事実を受け入れ諦めている。どこの国も軍備を持たなければ戦争にはならないのに、「攻めてきたらどうする」とどこの国も軍事力を強化している。

 詩人の茨木のり子さんが軍国少女だった自分を見つめ直し、「自分の感受性くらい自分で守れバカものよ」と詩にしていたが、なぜ人は多数に流されてしまうのか。個がどうして確立出来ないのか、答えの出せない人間の課題なのだろうか。


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