「町内の夏祭りに屋台を出しませんか」と言う町内会長さんに会った。「集まって、盆踊りをするだけでは人は来ない。子どもたちが夏祭りは楽しかったと思い出せるような行事にしたい。お母さんたちが気楽に参加できるためには、子どもたちにお小遣いを持たせれば、晩の食事の心配をしなくてもすむことが大事。そうすれば、家族が一緒に夏の一夜を楽しめる、そんな夏祭りをしたいのです」と、会長さんは熱っぽく語る。
私たちが祭りに参加する目的は、「祭りを楽しむ」ことにある。焼きそばを焼くのも、焼き鳥を焼くのも、「いらっしゃい」と声をかけるのも、自分が祭りを楽しむためだ。楽しくなければ止めればいい。儲けてやろうと思うなら参加しない方がいい。「美味しかったよ。元気がいいね。楽しくなった」。そんな言葉が欲しくて、汗を流している。表で頑張った人も、裏で品物を準備した人も、大人も子どもも、みんな平等に、売り上げたお金で飲み食いに使ってしまう。これが私たちのやり方である。
「焼きそば、焼きおにぎり、焼き鳥など、炭火で扱うものを担当しましょう」ということになった。期日は7月27日の土曜の夜。翌週には市の夏祭りがあり、ここではアユの塩焼きをメインに、焼きそば、焼きおにぎり、焼き鳥を並べるので、2週連続で担当することになる。市の夏祭りの時は、私たちが暮らすマンションの夏祭りと重なるので、人手が分散することになる。人手の確保が最重要課題になりそうだ。それでもこのところ、私たちの子どもを超えて、孫たちが手伝ってくれるから助かる。
生まれ育ったところではないこの地で、仲間が出来て、祭りへの参加を7年も続けている。しかも、孫たちが私たちに続いてくれるのは本当にうれしい。こんな風に、人が集い、飲み食いして、大いに笑い楽しむ、これこそが地域のコミュニケーションだろう。個人情報とか何とかいって、孤立した個人を作るよりも、互いが一品持ち寄ってきて、共に食事をしたり酒を飲んだりして、大きな家族のような暮らし方もまたいいものだ。
先日、子育てが一段落したからとパート勤めを始めた友だちの娘さんが、「初めて給料を貰ったので」と言って品物を持ってきた。「そんなのいいよ」と遠慮すると、「私たちは大きなファミリーだから」と言う。そうか、考えてみればいつも一緒にいるし、おかずのやり取りもする。確かに家族同然だ。私の友だちが「マンション長屋」と表現していたけれど、私たちは時代の先を行く?マンション長屋の住民だ。
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