カミさんが電話で、「お昼は皆さんと食べるから」と言う。今日は最後の活動日だから、「ゆっくりおしゃべりして来ていいよ」と送り出したが、昼食はひとりになってしまった。ならば好きなフレンチトーストを作って食べようと、卵を2個使ってちょっと贅沢なお昼にした。
おしゃべりの花が開いたのか、カミさんはなかなか帰って来ない。せっかく静かな午後を与えられたので、先日買った『芸術新潮』12月号を開く。「21世紀のための三島由紀夫特集」である。三島由紀夫に関心は全くなかった。
父親の書棚にあった『美徳のよろめき』を隠れて読んだが、高校生だったからか、何も感じなかった。多分、エロ小説を期待していたからだろう。自衛隊基地から呼びかける姿は印象に残っているが、何を言ったのか、どうして割腹自殺をしたのか、不思議に思っても知りたいとは思わなかった。
それなのに76歳になって、自殺から50年という節目のせいか、三島由紀夫の名前をよく目にするようになったこともあり、三島由紀夫とはどういう人物だったのかと考えるようになった。私はそろそろ旅立ちたいと思うけれど、自殺したいとは思わない。命は神が与えたもの、死は神が決めるものと思っているからだ。
だから、自殺する人はどうしてなのかと考えてしまう。怖いという気持ちよりも、死にたい気持ちが勝るのはどうしてなのか、太宰治も芥川龍之介も自ら死を選んだけれど、そんな勇気がどうして生まれてくるのだろう。平々凡々と生きてきた人間は、平々凡々と死ぬことになるのだろう。それでいい。
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