朝から鼻水がポタポタと落ち、ハックションとクシャミが続く。念のためにと体温を測ってみたが、36.6度と高くない。絶不調で何も考えられないし、何もしたくない。ブログに何も書くことが浮かんでこない。
カミさんが友だちからのメールに感心している。「あなたの生まれた西暦に、あなたの年齢を足すと世界中の人が2020になるそうです。今度こうなるのは1000年後です」。生まれた年から年齢だけ生きてきたのだから、当然今年の2020になる。来年なら2021だ。「今度こうなる」という言葉に惑わされてしまったようだ。
今朝の『中日春秋』と『天声人語』は、共に亡くなったなかにし礼さんを取り上げていた。ほとんど文字数は変わらないのに、『天声人語』の方が文面が濃く見える。朝日新聞は紙面そのものが濃いが、決して内容に比例している訳ではない。漢字が多いだけのことだ。
しかも共に「石狩挽歌」から始まっている。『中日春秋』は「北の浜辺に漂う悲しみやさびしさが音になればこうかと思わせる造語が生まれた」と、歌詞のなかの「オンボロロ」について語る。『天声人語』は「詞の難解さに耳を奪われる。北海道の漁業の衰退が主題とわかり、社会性の高さにうなった」とある。
「男女のもつれた恋情を微細に描く歌詞も多く、少年だった私はテレビの前でドギマギした」のだから、『天声人語』の筆者の年齢は若いようだ。きっと「時には娼婦のように」でも聞いて、想像を膨らませていたのだろう。男は聖女よりも淫らな女を求める時があると分かるには幼かったのだろうが、大人になってもまだ頭でっかちな文章しか書けないようだ。
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