エリザベス女王の「国葬」をテレビで見ていて、イギリスは未だに「騎士」の国だと思った。子どもの頃、なんとかいう王がイギリスを統一する「時代劇」を観た。日本の戦国時代と同じように、それぞれの領主が群雄割拠していたが、織田信長が天下統一を成し遂げた様に、イギリス王室を築き上げていった映画だった。
けれど、イギリス王室は清教徒革命によって廃絶されたことがある。清教徒のクロムウィルが独裁し、その圧制の為に反乱が生まれ、王政が復活した。欧州の各国は海外に進出し、植民地からの強奪が盛んになっていく。エリザベス1世の時代、イギリスの艦隊がスペインの無敵艦隊を破り、イギリス王室は飛躍的に発展していった。
エリザベス女王の棺が葬儀の行われたウェストミンスター寺院から、ロンドン郊外のウィンザー城に運ばれたが、その役を担ったのはイギリスの礎を築いた海軍の水兵だった。きわめて用意周到に行われた「国葬」を観ていて、バカげたことだが、安部前首相の「国葬」は統一教会に司会・演出を任せたらと思ってしまった。
アリス・マンローの小説を読んでいて、キリスト教に多くの宗派があることを知った。カトリックに対して、「聖書に戻れ」とプロテスタントが生まれたが、そのプロテスタントの中でも様々な宗派がある。仏教は日本で最も発展した訳だが、だからこそいろんな宗派が生まれた。真摯になればなるほど、いろんな解釈が生まれるのは自然なことだ。
イギリス王室はプロテスタントとカトリックの対立を抑えるため、2派を折衷してイギリス教会を国教と定めた。エリザベス女王の葬儀はこれによって行われたが、豪華で厳粛なカトリックそのものに見えた。人心を掴むためには宗教の存在は大きい。宗教は儀式化することでさらに偉大さを顕示する。
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