誰それを殺したとか、腹が立ったから刺したとか、何という情けないことかと思っていると、市長とか町長とか病院長が部下に、パワハラやセクハラを繰り返し、「コミュニケーションのため」と称している。
そればかりじゃーない、国会議員がパーティーを開いてお金を集め、正しく報告せずにネコババをしている。政治家なら理想に向かって努力する姿を見せるべきなのに、私腹を肥やすことに一生懸命だ。
人は権力を持つと見せつけたくなるし、金を握るとさらに欲しくなる。なんとまあー愚かなことかと思うけれど、そうした立場に立って清廉潔白で居ることの方が難しいのかも知れない。自分がどういう人間でありたいか、その原点が左右するのだろう。
今の日本は平和だが、しかし、なぜか満たされない思いが若い人には強い。他人への関心は薄れ、ひたすら自分の世界に籠っている。いや、それを非難する資格は私には無い。何事も無く、平々凡々と生きていられればそれでいいから。
10代の私は、人を恋い慕うことに大きな憧れを抱いていた。恋して結婚し子どもが生まれると、家族が一つになることを夢見ていた。けれど、家族が生きていくことは大変だった。さらに私は内ゲバに巻き込まれ、手足を打ち砕かれ、職も失った。
職を求めて転々とし、地域新聞の発行に辿り着いた。高校・大学と新聞作りをして来たおかげだ。ヨソ者の私を受け入れてくれた人々のおかげでもあるし、協力してくれた友人のおかげでもある。
地位や金に執着することが無かったのは、たまたまそうした立場に無かったからだろう。心惹かれる女性にも出会ったし、人生の先駆者にも出会った。私の宝物となった人たちとの出会いが無ければ、こんなに豊かで充実した人生にならなかったのかも知れない。
市民講座を開催してきた仲間で忘年会を6日に開く。「みんなの顔が見たい」と言うので、セッチングを行った。年老いて耳の遠い人も何人かいる。どんな忘年会になるのか、ちょっと心配でもある。
孤立を恐れず孤独の中で生きている人も、今日という平凡な1日は、その旅の途中。
旅を楽しみたいものである。