東京都の石原知事が、辞任して国政に復帰する記者会見を開いていた。会見室に入って来る時から、顔いっぱいに笑みを浮かべていた。報道陣の多さに大いに満足した様子だった。私は80歳の年寄りはそんなに頑張るものではないと考えているので、石原さんの決断は老害以外の何物でもないと思っている。健康でやる気があるのに、高齢だからやめろというのは差別だと言われそうだけれど、年寄りはどんなに健康でやる気があっても身を引く時を知らなくてはならない。
記者会見をテレビで見ていると、大阪市の橋下市長とよく似ている。どんな質問かは覚えていないが、「そんな質問をするとは思わなかった。まさに愚問だ」と断言していた。記者にとっては、自分の質問を愚問と一蹴されてはたまらないだろう。そんなつまらない質問をしてしまったのか、間違った質問をしてしまったのか、いろいろ悩むだろう。もっとも、最近の記者の質問の中には、どうしてこんなつまらないことを聞くのだろうというものが確かにある。どういう答えを引き出すためなのか、意図の分からないものもある。
石原さんにしても橋下さんにしても、記者をビビらせる能力に長けている。けれどもそれは相手に対する思いやりがないということだ。先日、病院に若い父親が、3歳くらいとまだハイハイしか出来ない1歳くらいの、ふたりの男の子を連れて来ていた。小さな病院で、ましてやその時間帯は患者も少なかった。受付嬢は3枚ほどの質問用紙と体温計を渡して、全ての項目に答えるようにと指示していた。父親は下の男の子をあやしながら、質問項目に回答を記入していた。上の男の子は退屈なのか、ソファーに登ったり、隣りのソファーへ移ったりを繰り返していた。
「ボク、危ないからじっとしていなさい」と受付嬢がきつい調子で言った。確かにソファーから落ちることもあるだろう。それならしばらくの間でよいのだから、ふたりの子のどちらかひとりの面倒をみてあげたらよいのに。患者はいない、看護婦さんもヒマなはずだ。受付嬢だったその気になれば、男の子の面倒くらい見られるだろう。けれどもきっと、人には持分があり、出過ぎたことをしてはいけないのだ。石原さん、「愚問だ」と切り捨てる前に、ちょっと意図を汲んで答えてやってもいいのにと思った。
私はカミさんから「おせっかい過ぎる」とか、他の人からも「甘すぎる」と指摘されることがあるが、おせっかいしない方がおかしいのではないのと思ってしまう。困っているならお手伝いしたいと思うことが、出過ぎたことだとは思わない。「優しい」と言う人もいるけれど、臓器移植には反対であるし、70歳過ぎれば生きることに貪欲であってはならないと思っている。高齢者はなるべく速やかにこの世を去るべきだと考えている。人にはそれぞれ定まった運命がある。受け入れることが大切だと思っているのだ。
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