「忖度」という言葉が流行り出した時、これは日本の伝統だと思った。他所の家にお邪魔する時は手土産を持参するし、ましてお願い事ならそれなりの土産を持って行く。商工会議所の会頭が県議のところに手ぶらで相談に行った。すると県議は「人に頼みに来るのに手ぶらで来るとは常識がない」と激怒したそうだ。
私は地域新聞を創刊する時、地元の有力者に後援をお願いして回ったが手ぶらだった。そのことで逆に信頼され、「応援するからいい新聞をつくりなさい」と言ってもらえた。新聞が地元で認められるようになると、行政の幹部は全国紙の記者と一緒に宴席を設けてくれた。自分たちが飲みたいために交際費を使っているくらいにしか思わなかったが、全国紙の地方版に大きく扱われる記事が増えた。
世話になっている人へお礼をするのも日本人としては当然の行為だ。お中元とかお歳暮のしきたりは今も続いている。もう今では行っていないと思うが、議員が視察に行くと、視察先の宿に首長らがやって来て、宴会が行われていた。行政と議会との意思疎通のためといい、その昔はコンパニオンや芸者までついたという。
長い間そんなことが行われていると、人はマヒしてそれを「ヨシ」としてしまう。トヨタは取引先との宴席を一切禁止したそうだ。名古屋栄の飲み屋街が寂れたのも大企業が交際費を使わなくなったからだという。取引先と懇意になっておけば受注が増える時代ではなく、企業が求めるものは商品の価値であって、宴席での親交ではないという訳だ。
職場で宴席を設け、親睦を図ることは日本の伝統と思ったら、最近はそれも無くなりつつあるそうだ。アメリカ映画でホームパーティを見かけるが、それは親しい友人の集まりで、職場の懇親会はないという。アメリカ人も実はよく働くが、それは企業の為ではなく個人のためだという。
日本人の働き方が変わりつつあるというものの、どうしてもドライに割り切れないところは日本人らしいのかも知れない。それでも「忖度」出来るのは、税金のような「人様の金」だからだろう。明日は「母の日」、お母さんに「忖度」ではなく、ストレートに感謝の気持ちを伝えて欲しい。
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